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「自己犠牲」や「指針」で、命をめぐる医療現場の困難は減らない

連載「だいじょうぶ、あまっている」②
新型コロナウイルスの感染者数の増大により、「医療崩壊」や「命の選別」が囁かれる。しかし、もっともらしい「指針」も美しい「自己犠牲」の物語も、命をめぐる現場の困難を減じる手立てにはならない。――「いのち」にかかわる社会学の第一人者による緊急連載第2弾。

「もの」は作れるし渡せる

前回(前回の原稿を書いたのは4月8日)紹介した斉藤龍一郎さんが、日本国内にはあまりでまわらないアフリカ関連の情報・記事を集めて掲載してくれています(「アフリカとSARS-COV-2」)。新型コロナはやはりアフリカのほうにも広がっていっていて、ということになっているようです。

前回、今必要なのは、「もの」としては、薬と、場所と、機械だと言いました。そして「人」は、まずは感染者に対応する人です。「もの」について、薬は当面望めない。場所は作るか、それよりも、あるものを利用し改良して使う。機械はまず「人工呼吸器」。作ればよい。そんなことを述べました。

効果があり害のない薬が使えるようになるのにはまだしばらくかかるでしょう。その場合に、人工呼吸器は、それを使って日々過ごす道具というより、なんとか回復を期待して待つその間をつなぐというような性格のものであるようですが、たくさん必要であることはまったく確実です。

それを作る。輸入し、輸出する。贈与する。まったく簡単なことで、可能なことです。

自分の国で(今のところ)作れないというこの国(日本国)にもできることはあります。今できることのなかで一番簡単ぐらいなものです。しかし、今日(4月15日)、いまだにたいしたことはなされていないようです。

 

そしてこれは今になってという話ではありません。遅くとも2か月前には準備を始め体制を整えておくことができたことです。

昨日DPI日本会議他の総理大臣あて要望書「新型コロナウィルス対策における障害のある者への人権保障に関する要望」が届きました(作成は11日だそうです)。そこでも呼吸器について強く要望されています。

そして言うまでもなく、呼吸器のことは「狭義」の障害者だけに関わることではありません。要りようになったら皆に要ります。それをなんとしてもまにあわせれば、今使っている人が取り上げられること、辞退しようという気にさせられることもありません。

世界的なできごとになっていますから、もし日本で余るようなことになれば、よそにあげればよい。それでもいらなくなったら、鉄なら鉄に戻せばよい。そうなったらまったくめでたいことです。

いまは消毒用のアルコールも足りないのですが、この製造もまったく容易です。流通させるのも、本来は、容易です。