こういったことを聞いて、こんな風にいう人もいるかもしれない。
「でも、水商売以外の人たちだって困っているんだよ?」「生きているだけでありがたいじゃない」「救われないことを嘆いていないで、出来ることから頑張りなよ」そして、「そういった仕事を選んだ自分にも責任があるんじゃないの?」
……果たして、その辛抱と自己責任論は、健全に生き残る手立てだと言えるのだろうか。
世の中を取り巻く状況が悪くなり個人に余裕がなくなってくると、他人が得ている得に敏感になり、向ける眼差しが厳しくなってくる。自分は頑張っても報われないのに、耐えているのに、どうしてあの人はいい思いができるのか? そういった気持ちに囚われている人は、今この日本にたくさんいる気がしている。
それは水商売を批判する人たちだけじゃない、わたしたちキャストや風俗経営者、そしてお客様の心の中……、この状況では誰にだって、そういった思いが忍び込んでくる。感染症はわたしたちの体を蝕み、時には命を奪うだろう。
でも、「生きているだけでありがたいのだから、前向きに頑張り続けよう」という同調圧力に耐え、自分の苦しい思いを飲み込み続けていると、たとえ感染症にかからなくても、別の形でわたしたちの命を蝕んでくるかもしれない。
わたしたちは感染症そのものに気をつけるだけではなく、自分の心を助けていかなくてはならないタイミングにもきているのではないか。