だが、そのような多様性礼賛はパレク報告から、またブレア労働党政権だけから生まれた訳ではない。それにつながる系譜はさらに遡ることができる。ここで言っているのは、マーガレット・サッチャーとその新自由主義である。
普通、サッチャーといえば強硬な保守主義者であり、したがって移民に対しては不寛容だったのではないかというイメージがあるかもしれないし、ある面ではその通りだ。
例えば、『白い暴動』で描かれるロック・アゲインスト・レイシズムの意義を否定するつもりはないが、彼らがレイシズムに対抗した1970年代後半にすでに、国民戦線は勢力を失っていたとも言われる。『イギリスのファシズム』を書いたリチャード・サーロウはその原因について、重要な指摘をしている。
つまり、サッチャーの台頭である。国民戦線的な極右は、イーノック・パウエルやBUFと同様に、保守党でさえも包摂しきれないほどに「極右的」であった。しかし、サーロウの説明が正しいなら、サッチャー政権は部分的にそのような極右的傾向も政権支持層に取りこんでいったのである。
だが、それとまったく矛盾するように見える傾向もあった。彼女の打ち出す新自由主義と、後に多文化主義と名づけられるものとの親和性である。
これを見事に描き出した映画が、スティーヴン・フリアーズ監督の『マイ・ビューティフル・ランドレット』(1985年)である。
この映画では、パキスタン系の青年オマルが、かつては極右排外主義に染まっていた白人労働者階級のジョニーを雇用してコイン・ランドリーを経営する。オマルの叔父ナーセルは、チャンスをつかみ取る者には富を与えてくれるサッチャリズムを肯定する実業家だ。
ここに表現されているのは、70年代の国民戦線的な排外主義(ジョニー)が、サッチャリズムのメリトクラシーに飲みこまれる様だ。企業家精神と進取の精神にあふれる者であれば人種の差別はしない新自由主義的なメリトクラシーは、オマルにとって解放的なのだ。
駆け足になるが、このような新自由主義のイデオロギーは、矛盾することなく2000年代の多文化主義に接続することができるだろう。それが純然たる人権問題というよりは、新たなグローバル時代において勝ち組になるためのスキルとしての多文化主義である限りにおいて。
そして、新自由主義がグローバリゼーションの国内政治における表れであるとするなら、後にUKIPとファラージが訴えることになる、〈EUというエスタブリッシュメント=グローバリゼーションの手先=多文化主義と寛容=中流階級的なもの〉に対する反感が、いかなる歴史を経て醸成されていったかが分かる。
さて、そのように系譜を遡行した上で、ではそのような内実をもつ右派ポピュリズムをどうやって超えることができるだろうか。実のところ、本稿ではすでにそのひとつの道を指し示したつもりだ。
つまり、UKIPの右派ポピュリズムの核心にあるエスタブリッシュメントへの反感とは、新自由主義による「反転」を経たとはいえ、かつてBUFを通りから追い出した人びと、国民戦線のレイシズムにNOをつきつけたロック・アゲインスト・レイシズムのミュージシャンたちと観客たちの、単に労働者階級としての利益を追い求めるのではなく、弱者に対する差別は許さないという連帯の感情をその系譜にもっているのだし、そういった感情はどれだけ残滓的でも残っている。ブレイディみかこの著作が常に見すえるのはそのような、残滓的、とはいっても現在においても活発に作用する残滓としての、反エスタブリッシュメント感情なのである。
ここまで示したのは、イギリス労働者階級は、ブレグジットにおいて確かに排外主義的な身振りを示す部分はあったけれども、それはサッチャリズムからの系譜を持つ反エスタブリッシュメント的な機運が、反多文化主義という表現を得てしまった部分もあり、そこだけに目を奪われることは、排外主義や人種主義に対抗してきた伝統を見失ってしまうだろうということだった。
そのような伝統が可能だったのは、本連載で強調してきたように、イギリス労働者階級が単なる経済的カテゴリーではなく、コミュニティであったためだろう。この場合のコミュニティは、排他的にもなり得るが、必ず排他的になるわけではない。それを、イギリス労働者階級の伝統の一部は示してくれている。
ひるがえって、イギリスとはまた違った形で、2000年代以降に新たなポピュリズムと排外主義が台頭してきた日本には、イギリスのような労働者階級の伝統と残滓はない。またそもそも、多文化主義が階級的なものとからまりあう形で優勢になったこともない。とすれば、わたしたちはどのようなリソースに頼ってそれに対抗していけるのだろうか。この問いを開くことで、本稿を締めくくりたい。