EU離脱の原点ーー「イギリス版ファシズム」という黒い歴史

労働者階級「反乱」の系譜
河野 真太郎 プロフィール

ロック・アゲインスト・レイシズム─国民戦線との闘い

BUFの次に出現する排外主義的な政党・政治団体といえば国民戦線(the National Front)である。

4月3日に公開された(4月17日よりネット配信で公開中)ドキュメンタリー映画『白い暴動』の背景になっているのが、この国民戦線を中心とする、1960年代から70年代に出現した新たな排外主義だ。

映画『白い暴動』ポスター(http://whiteriot-movie.com/)

『白い暴動』は、当時過激化していた排外主義、人種差別に対抗するミュージシャンたちが立ち上げた、「ロック・アゲインスト・レイシズム」というキャンペーンを当時の映像と関係者インタビューで再現するものである。その中でもまず印象的なのは、人種差別に抗議するミュージシャンたちより前に、あからさまで暴力的な差別的言辞をまきちらすスキンヘッドたちの映像だ。

この年代の排外主義を理解するためには、大戦後イギリスの「多民族国家化」を理解する必要があるだろう。画期は1948年の国籍法である。この法律は、イギリス連邦(コモンウェルス)の人びと(つまり、旧植民地も含めた世界の8億の人びと)に市民権を与え、イギリスへの移入を認めたものである。

この法制に促された移民の増加を象徴するのが、1948年6月、ジャマイカから500名弱の移民を乗せてテムズ川下流のティルベリー港に到着したエンパイア・ウィンドラッシュ号だ。

移民労働者の増加は摩擦を引き起こした。その象徴は1958年9月のノッティング・ヒル人種暴動だ。これは、カリブ系住民(当時イギリス全体で12万人いた)に対して白人暴徒が暴行を加えたことに端を発するものだった。現在も8月の終わりに開催されるノッティング・ヒル・カーニバルといえば、レゲエなどの音楽と踊りの陽気なカーニバルだが、実のところ起源はこの人種暴動なのである。

58年の暴動のあとにも繰り返された人種暴動に対して、トリニダード・トバゴ出身の活動家クラウディア・ジョーンズらは、カーニバルを組織し、文化的連帯によってそのような暴力に対抗したのである。

こうした努力にもかかわらず、60年代イギリスでは移民に対する排外的な動きが顕著になっていく。それを象徴するのが、1968年4月、保守党政治家のイーノック・パウエルが行った、通称「血の川演説」である。この演説は、コモンウェルスからの移民増加に警鐘を鳴らし、移民を制限する新たな人種関係法を提案するものだった。

「血の川」という表現は直接は出てこないが、ヴェルギリウスの『アエーネイス』から引用し、このまま移民が抑制されなければ古代ローマ人のように「ティベレ川がたくさんの血で泡立つ」のを見るだろう(そのような悪い予感がする、ということ)とパウエルが述べたところから、「血の川演説」と呼ばれる。

国民戦線は、BUF出身のA. K. チェスタトンによって1967年に結成された。イーノック・パウエルがこれに直接関わったわけではないが、「血の川演説」が表現し、それが認可を与えた排外主義的な時代の空気の産物だったと言えるだろう。

そのような空気に乗せられ、またその空気を作りだしたミュージシャンもいた。エリック・クラプトンやデイヴィッド・ボウイはパウエルを支持し、イギリスの多民族化への懸念を表明した。それに対抗して立ち上がったのが、ザ・クラッシュやトム・ロビンソンといった白人のパンク・ミュージシャンたち、有色系からはレゲエのマトゥンビやパンクのX・レイ・スペックスなどだった。

『白い暴動』は、これらのミュージシャンによる10万人コンサートを感動的に描き出す。このコンサートが可能になった背景には、ケーブル・ストリートの戦いやノッティング・ヒル・カーニバルといったイギリスの反差別の文化的伝統があっただろう。