EU離脱の原点ーー「イギリス版ファシズム」という黒い歴史

労働者階級「反乱」の系譜
河野 真太郎 プロフィール

イギリスのファシズム? モーズリーのBUF

中庸を好み、極端を嫌うように思えるイギリス国民。その歴史には、ドイツ、イタリア、日本のようなファシズム・全体主義は存在しなかったと思われるだろうか? じつはそうではない。イギリスのファシズム運動といえばまず、1932年にオズワルド・モーズリーが結成したイギリスファシズム同盟(the British Union of Fascists/BUF)がある。

サー・オズワルド・モーズリーは、第一次世界大戦後、1920年代のあいだは、最初は保守党員として、そして後に労働党員として国会議員を務めた人物である。彼は1931年にムッソリーニを訪問し、その影響のもとに総選挙で「新党(the New Party)」で打って出て敗北した後、BUFを結成した。ムッソリーニの国家ファシスト党にならって黒シャツ隊を組織。一時期は5万人の党員を獲得したという。

(ちなみに、モーズリーのBUFは、カズオ・イシグロの『日の名残り』でも非常に重要な役割を果たす。映画版よりも、原作を読んでいただくとよく分かるかもしれない。)

イギリスファシスト連合の党旗

BUFは1930年代後半に反ユダヤ主義の旗幟を鮮明にする。優生学的な思想と人種排斥が結びついた思想である。(これについては中山[参考文献]を参照。)この「イギリス版ファシズム」に人びとはどう応答しただろうか。それを表現する事件が、1936年10月4日の「ケーブル・ストリートの戦い」である。ケーブル・ストリートとはロンドンはイースト・エンドの通りの名前で、当時はユダヤ系と労働者の多く住む町であった。

そのような町でモーズリー率いるBUFの黒シャツ隊がデモ行進をするというので、7万7千筆の反対署名が内務大臣に届けられたが、それにもかかわらず、デモは認められた。警官隊に守られたBUFのデモ行進をユダヤ系、社会主義者、共産主義者の多数の抗議者たちが通りをブロックして迎え撃った。抗議者と警官隊との暴力をともなう衝突が生じ、モーズリーは2千人ほどのデモ隊を解散させざるを得なくなった。

この「戦い」は、1930年代イギリスにおける、労働者階級組織による反ファシズム・反排外主義を語るにあたって、スペイン内戦(1936〜39年)とならんで一種の神話的な出来事として語り継がれることになる。現在、ケーブル・ストリートのタウン・ホールの壁面には、画家デイヴ・ピニントンによる、ケーブル・ストリートの戦いの巨大な壁画が描かれている。

ケーブル・ストリートの戦いを描いた壁画(https://www.tripadvisor.jp/より)

この後、1939年にはBUFの党員は2万人までに減り、1940年5月にBUFは非合法化され、モーズリーらは第二次大戦の間は逮捕拘禁されることになる。(以上のBUFについての記述はThurlowを参照。)