お茶の歴史

紀元前3400年頃 古代中国の伝説の皇帝「神農」が薬として茶を発見

805年 唐から帰朝した日本の最澄が比叡山麓の日吉茶園にチャノキの種を蒔いたとされる

806年 空海が中国から茶の種と石臼を持ち帰ったとされる
種は奈良県宇陀の佛隆寺あたりに蒔かれ、これを栽培してつくったのが大和茶と言われている。その後、京都に伝わり全国に広まった。

1191年 栄西禅師が宋からチャノキの種を持ち帰る
持ち帰ったチャノキの種は、佐賀県脊振山と、栄西が初めて建立した福岡の聖福寺に蒔かれ、京都・栂尾高山寺の明恵上人にも送ったと伝えられている。佐賀県脊振山の山麓にある霊仙寺周辺には、現在でも栄西が栽培したという茶畑が残り栄西茶がつくられている。

1241年頃 聖一国師(僧弁円)が宋よりチャノキの種を持ち帰り足久保(現静岡市)に蒔く

1338~1358年頃 足利尊氏が倹約を説き茶寄り合いを禁じる

1379年 足利義満が「宇治七名園」を完成させる
室町時代、将軍義満は宇治の地に七つの茶園をつくり、茶の栽培を推奨した。以降、京都宇治地方は茶の名産地として広まる。

1585年頃 千利休「茶の湯」の作法を完成させる
16歳で茶道に入門した千利休は、織田信長の茶頭を務め、茶の湯の準備や美術品の鑑定購入などを担当。その後、豊臣秀吉の茶頭としても名を挙げ、彼の目指した茶の湯の作法を完成させた。武士の間で流行した茶の湯は、千利休によって庶民の間にも広がっていく。

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1603年頃 徳川家康が、失職した武士を静岡県に送り茶栽培を広めたとされる

1738年 宇治の永谷宗円が蒸し製煎茶を完成させる
それまでの釡炒り茶から、蒸して手揉みをする「青製煎茶製法」を発案し、茶師の間に広まる。私たちが現在飲んでいる煎茶は、このとき生まれた製法によるもの。

1853年 ペリーが来航し日本に開国要求

1859年 明治維新期の横浜開港では製茶約180tを輸出

1908年 杉山彦三郎が静岡県で優良品種「やぶきた」を選抜
現在の主力種であるやぶきた茶を、在来種の中から発見したのが、静岡県の篤農家・杉山彦三郎。全国に広まったやぶきた茶は、この杉山家で栽培する1本から株分けされた。

1920年頃 アメリカ人が日本茶を飲んでいた!?
明治後期、製茶の輸出量が180tだった1859年から60年ほどで、輸出量は2万tまで増加。輸出先の80%を占めていたアメリカでは日本茶カフェも出現し、煎茶に砂糖やミルクを入れて飲んでいたとか。ちなみに、2018年の日本茶の輸出量は約5000t。

1985年 日本で、世界初の缶入りの緑茶飲料が発売される
サンガリアが初めて煎茶の缶入り飲料を発売。後に伊藤園からも発売され、缶入りのお茶は主に弁当のお供として普及する。それまで家の中で飲むものだったお茶が、外出先で手軽に飲める飲料になったことは、日本人の意識を大きく変えた出来事となった。

参考:「日本茶の基本」(エイ出版社)、「日本茶の事典」(スタジオタッククリエイティブ)、大森正司著「お茶の科学」(講談社)

●情報は、FRaU2020年5月号発売時点のものです。
Photo:Sasaki Takeshi Writing:Hanada Yoko