新型コロナウイルス対策、政府はどこまで「自由」を制限できるのか

「公衆衛生」の倫理
児玉 聡 プロフィール

たとえば、「新型コロナウイルスに感染している人は他人に危害を加える可能性がある」という理由から、その人の外出や移動を禁じることはできるだろうか? 感染症を故意に他人にうつしたことが立証されるならば、その人は傷害罪に問われる可能性があるが、故意でない場合には、因果関係を証明するのが困難であることもあり、罪に問うのは難しいだろう。

ましてや、「他人に危害を与える可能性がある」という理由から、感染していない人や感染しているかどうかわからない人の行動を制限することは一層困難である。

感染症拡大を予防するには、全員ではないにせよ大多数の市民が外出自粛や予防接種などの一定の行動を取らなければならない。それゆえ、まだ誰かに害悪を及ぼしていない者も含め、市民一般の協力を要請ないし強制する必要がある。これが冒頭で紹介した笑い話のポイントである。

そこで、感染症対策では、次のように論じる必要がある。「あなたが確実に別の人に感染症をうつすというわけではないが、あなたを含め、あなたと似たような状況にある人口集団が自由に行動したならば、一定数の人が感染症にかかって重症ないし死ぬリスクがあるから、あなたには協力をしてほしい。自発的に協力できないならば、人々の健康や生命を守るためにあなたの協力を強制的に求めることも正当化されうる」と。

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しかし、季節性のインフルエンザでさえ、国内で年間1万人程度が死ぬとされる(厚生労働省サイト「新型インフルエンザに関するQ&A」)。すべての感染症について市民一般の自由を大幅に制約することは困難である。ある程度までは行動の自由や経済活動の自由を保障しなければ、感染症が流行するたびに社会機能がマヒすることになりかねない。

また、今回の感染症対策もそうであるが、自宅待機の時間が長引いたり、経済活動の制約によって不況や倒産や失業がもたらされたりすると、精神疾患や家庭内暴力や自殺の数が増えることも考えられる。個人の自由の制約は相応のコストが伴うと言ってよい。そこで、個人の自由の制約を含む感染症対策は、感染症のリスクに比例することが重要だと考えられる。

 

実際、「個人の自由に対して可能な限り制約を少ない手段を選べ」という規定は、国連の国際人権B規約(自由権規約)に対する公益目的での例外を規定した1984年のシラクサ原則でも重要な規則となっている。感染症対策では個人の自由は制約を受けざるをえないが、それを最小限にすべきだというのが公衆衛生倫理の主流の考え方である。