人通りが少なくなった渋谷スクランブル交差点〔PHOTO〕Gettyimages

新型コロナウイルス対策、政府はどこまで「自由」を制限できるのか

「公衆衛生」の倫理

なぜ「私が」協力しなくてはいけないのか

いささか息の詰まる世相なので、笑い話から始めよう。オーストラリアのある地域で、虫歯予防のために水道水にフッ素を入れることになり、地域住民に対する説明会がなされた。当局の職員が市民の質問に答えていたところ、かなり高齢の男性が手を上げて、次のように述べた。「なぜ私の飲む水にフッ素を入れるんじゃ!」。

その職員が水道水にフッ素を入れると虫歯予防になるということを再度説明しようとしたところ、その男性は、すべての歯を失って総入れ歯であることがわかった。その男性は質問を繰り返した。「なぜ私の飲む水にフッ素を入れるんじゃ!」。

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水道水にフッ素を入れて虫歯予防をすることは公衆衛生政策の一つである。この政策は、市民全体の利益のためになされるが、中にはこの高齢者のように当人は直接の利益は受けないのに、全体の利益のために協力させられる者も出てくる。ある意味で、強制的に善行をさせられると言ってよい。

もちろん、民主主義社会であれば、市民の合意によりそのような政策が作られるから厳密には強制ではないというのが建前だが、たとえば自動車のシートベルト着用の義務のように、市民の感覚としてはやはり強制されているように思われるだろう。

公衆衛生政策はこのように、(1)強制的に協力させられることが多く、また、(2)個人が直接得る利益は小さいか、場合によってはまったくない可能性もあるが、とはいえ集団で一定の行動をすれば社会的に利益が出るという構造がある。このことを念頭に、今回の新型コロナウイルス感染症に対する対策を考えてみよう。なお、以下の記述は、筆者が以前に『功利主義入門』(ちくま新書、2012年)や『入門・医療倫理III (公衆衛生倫理)』(勁草書房、2015年)などで書いた内容が下敷きになっているので、関心のある方はそちらもご覧いただきたい。

現在、新型コロナウイルス感染症(以下COVID-19)が世界中で猛威を奮っている。2020年4月12日現在で、感染者は世界で170万人近くとなり、死者も10万人を越えた(WHO COVID-19 Dashboard)。