新型コロナ危機、「日本批判」を何度も行ってきた私の反省

決断は難しい。人間は弱い。
堀 有伸 プロフィール

日本批判をしてきた個人的反省

私自身、日本批判を強く行い過ぎてきたことへの反省の思いが強まっている。

それは、私なりのパーソナリティの分裂を乗り越えるための行動であり、一定の意義があったと考えているが、強すぎる批判には分裂を強めてしまう反作用もあったことを認めるべきだろう。

「近代/前近代」という形で問題を設定すると、「近代」と「前近代」のどちらの要素を優越させるべきか、という対立を生み出してしまう。

しかし実際には、「民主主義」や「自然科学」のような近代社会の理念は、現実にはない将来に達成されるべき「ユートピア」として元来は構想されたという出自を、理解しておくことは重要だろう。

現実の人間の振る舞いには常に、「近代的なものと前近代的なもの」が混ざっている。つまり「民主主義的なものとムラ社会的なもの」、「科学的なものと迷信」が混ざっている。人によって濃淡はあるだろう。

しかし、近代が前近代を批判する、あるいは前近代が近代に反発することが強調されるよりも、現状を受け入れた上で、「よりすぐれたものを目指す」ような姿勢が維持されることを望ましい。

 

新型コロナウイルス感染症は、非常に難しい問題を私たちに突きつけている。

このような時代にあって、「内輪の論理に固まって、外を排除する」、「過剰に理念に同一化して、現状を否定しすぎる」という反対の両極の二つの心理的な陥穽に注意し、現実をしっかりと見つめながら、それぞれの個人が自らの決断を積み重ねていくことが求められている。

そして、そのような責任感のある個人が連帯していく先に、希望が存在する。