新型コロナ危機、「日本批判」を何度も行ってきた私の反省

決断は難しい。人間は弱い。
堀 有伸 プロフィール

メランコリー親和型の、二つ目の方策は、「いつでも自分が悪いと責めていること」である。

「あるべき姿に比べて、いつでも常に自分が劣っている」と感じて、自己批判を続けている。これは人を勤勉さに駆り立てるものであるが、肝心の「どの方向に勤勉であることか」について自分の責任で考えるプロセスは、省かれている。

結局、周囲の空気と一致して、可能ならばその中で優位性が確保できることが重要なのであり、それが満たされない時に「やたらと自分を責める」内面のプロセスが駆動してしまう。

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分裂が強化した日本社会

一つ目と二つ目は、「(身内のことなら)何でも賛成する」のと「何でも反対する」ので正反対のようであるが、どちらも「葛藤と向かい合って自分なりの結論を出す」ことを回避している点では一致している。

今から考えれば、日本が豊かで余裕があった時に、一つ一つの葛藤にしっかりと向かい合って、この心の分裂を解消するような活動がもっと盛んに行われれば良かったと思う。

しかし、諸外国を見てもそれほど上手くはいっていないようなので、それは求めすぎなのかもしれない。

 

しかし、この数十年を振り返ると、日本社会はさまざまな葛藤と向かい合うことを避けて先送りを続け、この分裂を解消するどころか、強化する方向に進んでしまったように思う。

「内/外」の境界は厳しいままであるし、その領域はますます狭くなりつつある。一方で、過剰な批判・全否定の傾向も強い強度で持続した。