新型コロナ危機、「日本批判」を何度も行ってきた私の反省

決断は難しい。人間は弱い。
堀 有伸 プロフィール

メランコリー親和型とは

このようなパーソナリティを「メランコリー親和型」と呼ぶが、上述したような弱点は普段は隠されて露出しないようになっている。「決断」をしなくても良いような状況を、自分の周囲に日頃からつくりあげているからだ。二つの方策がある。

一つは、「自分の周囲に、自分の感性を受け入れてくれる領域を作りあげておくこと」である。

重視される判断軸は「真か偽か」ではなく、「近いか遠いか」である。自分と自分の周囲を理想化して、しっかりとした境界を心の中につくっている。その境界の内部にあるものは「正しく清いもの」で、無条件に受け入れられる。逆に、その境界の外は、「間違って汚れているもの」である。

これは言い換えれば、「幼児的」であり、「前近代的」な心性と言えるだろう。もちろん「近代的」な観点からは批判されるのであるが、この心性が根深いもの、侮れないものであることは、実生活で私たちが強く経験するところである。

「メランコリー親和型」を、単なる「うつ病になりやすいパーソナリティ」と理解するのは、不正確なのではないかと考える論者は複数存在する。

この論が主に流行したのが(現在も流行している訳ではない)、主にドイツと日本だったことから「少し遅れて近代化を行った国で生じやすいパーソナリティの問題」だとする意見があり、筆者もそのように理解している。

直前に書いたような「自分の領域をつくって、その中のお仲間だけを絶対視する」ような姿勢は、近代社会が建て前とする原理原則からは、強く批判される内容である。

 

おそらく、ゆっくりと近代化に取り組むことができた国は、一つ一つの課題にじっくりと取り組んでいったのだろう。

しかし、慌てて近代化を行わねばならなかった国では、「オモテとウラ」の使い分けを導入せざるをえなかった。

つまり、「内側のお仲間」だけを重視する心性の根っこは「ウラ」に隠し、「オモテ」では過剰に近代的な理念に反動形成的に同一化してみせる、そういうこころの分裂を抱え込まねばならかなった。