一審の判決言渡し後、仙台地裁前に集まった報道陣に対し、「不当判決」と書かれた幕を掲げる遺族側弁護団(2018年3月30日、筆者撮影)

災害遺族を「原告」にしないために…「閖上津波訴訟」の教訓

ある震災遺族の9年間【最終回】
東日本大震災発生から1ヵ月後の名取市閖上の様子(2011年4月18日、筆者撮影)
東日本大震災の発生から丸9年を迎えた翌日の2020年3月12日、仙台高等裁判所で、「被災地最後の津波訴訟」といわれた「閖上津波訴訟」の和解が成立した。和解金は無く、訴訟費用も双方の負担となった。この「和解」に際し、改めて震災遺族の9年の足跡を振り返ってみたい――。

【第1回】「鳴らなかった防災行政無線」
【第2回】「最低最悪の一審判決」
【第3回】「苦渋の『和解』」
【第4回】「裁判所からの『忠告』」

提訴に際して予想されたこと

竹澤さおりさん、守雅さん夫妻が、名取市を相手取り、国家賠償法に基づく損害賠償請求訴訟を起こしたのは、東日本大震災発生後から3年半後、2014年9月5日のことだった。

提訴の数ヵ月前、裁判を起こすことについて、夫妻から意見を求められた私は、決して、それに“諸手を挙げて賛成した”わけではなかった。

というのも、国や地方公共団体を相手にした国家賠償請求訴訟で、原告側が勝訴するケースは現状、1割にも満たず、かつ、訴訟は長きにわたる。その間の原告側の精神的、肉体的、経済的負担は相当なもので、夫妻の日常が「裁判中心の生活」になることは、目に見えていたからだ。

また、国賠訴訟における、裁判所の主たる役割は、被告(国や地方公共団体、それに属する公務員)の行為が民法上の不法行為に当たるか否か、そして、賠償責任の有無を判断することにある。

よって、竹澤さん夫妻が後に起こすことになる「閖上津波訴訟」でも、争点が、津波襲来や、防災行政無線の故障についての「予見可能性」などに集約され、夫妻が震災発生から3年以上にわたって求め続けていた、「なぜ私たちの家族は犠牲になったのか」という真相究明にまで、審理が及ばないことが予想されたからである。

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