「コロナ後の世界」に忍び寄る「健康・健全ディストピア」

不健康と不健全が「罪」となる社会で
御田寺 圭 プロフィール

昨今、健康に対する意識が高まっていくにつれ、多くの人が健康的な生活を送ることを「善いこと」として考えるようになった。それと同時に多くの人が健康について「自己責任」という言葉を内面化するにつれ、「煙草を吸って肺がんになったとしても、それは自業自得でしょう」「そんなだらしのない人間が、私たち健康な人間が納めてきた医療費を使うのはおかしい」といった言説が広がるようになった。

医学が進歩し、健康という観念が市民社会に浸透すればするほど、私たちは健康を「個々人の心身の状態」ではなく、次第に「個々人が責任をもって維持するべき社会的規範」として考えるようになっていったのだ。

 

「ルール化」する健康

そして「アフター・コロナの世界」において、健康は「個人の幸福追求のための努力目標」から「社会の維持のために守らなければならないルール」へとさらに進化していくことになる。

健康を守ることが、たんに個人の利益になっているだけではなく、むしろそれ以上に、医療サービスや社会的インフラといった社会基盤の維持にきわめて重要である(逆にいえば、不健康な人が多ければ、それだけ有事の際の社会基盤が脆弱になってしまう)ことを、多くの人が、今回のパンデミックにより身をもって知ったからだ。

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第一次ベビーブーム世代が後期高齢者となり、医療や介護などの社会保障費の急増が懸念される「2025年問題」、そして現在ほぼ確実視されているコロナ後の大不況――いわゆるコロナショック――によって、社会保障や医療財政の悪化は避けられない状況となっている。こうした文脈が掛け合わされた結果、「不健康な人」は、たんに「健康でない人」とはみなされなくなる。

「飲酒や喫煙、不摂生など、なんらかの自己責任的な要因によって健康を害したせいで、私たちの社会に迷惑をかける人」とされ、峻烈なバッシングが浴びせられるようになる可能性さえある。喫煙者の肩身はいま以上に狭くなるだろうし、同じく健康リスクを高める嗜好品であるアルコールを嗜む人にも、同様の非難が波及するのは時間の問題であるだろう。

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