新型コロナ、韓国映画『パラサイト』が描いていた「感染症と排除」の関係

韓国映画の想像力
真鍋 祐子 プロフィール

伝統文化の影響

韓国の伝統文化になじみのある人なら、そこに「沈清伝」のモチーフを読み取るのではないだろうか。沈清を主人公とする孝女物語「沈清伝」は、語り物やパンソリ(韓国の伝統的な口承文芸)として口伝され、人々に愛されてきた作者不明の古小説である。あらすじは以下のとおり。

幼くして母を亡くした沈清は貧しい盲目の父に仕えてくらしていたが、供養米三百石で父の目が開くと聞き、その代価に海の平穏を守る供犠として商人たちに身売りする。嵐の海に身を投げた沈清の孝心に感心した龍王は彼女を救い、いったんは竜宮に住まわせるが、父のことが心配で地上に戻りたいという沈清の願いを聞きいれ、大きな蓮の花に彼女を包んで、海の上に返してやる。

商人たちがこの蓮の花を見つけ、珍しいからと王に献上したところ、王はそこから出てきた沈清の話を聞き、感動して妃とする。王は沈清の父を捜すため、全国から盲人を招いて宴会をもよおす。こうして父娘が再会したとき、父の開眼という奇跡が起こる。

〔PHOTO〕iStock
 

母の不在による「欠損家族」、そして「娘殺し」のモチーフは、『グエムル』にも引き継がれている。欠損家族とは、まずは理念型としてのまったき「家族」が想定され、そこから本来あるべき要素が欠けた状況をさす社会学の分析概念である。「沈清伝」など古くから伝わる物語には、家族は「欠損」に始まり、欠けた部分を取り戻そうとする反作用が物語を展開させ、大団円を迎えるものが多い。

それを象徴する場面が「沈清伝」における盲人の宴、『グエムル』における食卓である。盲人の父は開眼し、死んだ娘は生き返る。カンドゥは娘を取り戻せなかったが、娘の命と引きかえに男の子を迎え入れ、新たな家族として再出発するのだ。

では、『パラサイト』はどうだろうか。ギテクの一家は、ギジョンの死まではまったき「家族」にほかならない。生前のギジョンはギテクとチュンスクにとって、孝女といえば孝女である。両親のためにあれこれと奸計をめぐらしては、スマートフォンひとつで実行に移し、采配する。パク一家がキャンプに行くといって家を空けたつかの間、居間で繰り広げられる宴会は孝女ギジョンが半地下家族にもたらした、うたかたの大団円だったとも読み取れる。