新型コロナ、韓国映画『パラサイト』が描いていた「感染症と排除」の関係

韓国映画の想像力
真鍋 祐子 プロフィール

『パラサイト』では、格差を表象しながらも不可視なるがゆえの「匂いの越境侵犯性」がもっぱらの話題となったが、本作で私が注目したもうひとつのポイントは、キム一家が先住の家政婦ムングァンを追い出すためにでっち上げた「結核」というアイデアである。ムングァンの桃アレルギーを利用して、彼女が結核であるとパク氏と夫人に思い込ませる。

キム一家から醸される「匂い」は違和感と不快感をもよおすかもしれないが、人を殺さない。階級を隔てる表徴にはなっても、ポリティカル・コレクトネスにおいては、他者を排除する正当な理由とはなりえない。だが「結核」となると話は違ってくる。結核は、越境侵犯しては誰も彼をも殺す潜在性をはらんでいるからだ。こうしてキム一家と同属の立場にあるムングァンが排除される。

格差の壁を侵犯して無差別に人を殺傷する細菌は、肉眼で見えないがゆえに疑心暗鬼をかきたて、たやすくエセ情報を信じ込ませ、他者に対する科学的根拠のない無条件の分断と排除を正当化させる。

 

『グエムル』が描いたウイルス

これはウイルスも同じである。ポン監督の『グエムル 漢江の怪物』(2006年)では、国家権力による強制隔離と分断を正当化する要因として、グエムル(怪物)を宿主にするとされる(実はどこにも存在しない)「強力なウイルス」が言挙げされた。

漢江の河川敷で売店を営むパク・カンドゥ(ソン・ガンホ)一家は収容先の病院を脱出し、家族総出でグエムルにさらわれた一人娘ヒョンソの救出に向かう。一転、追われる身となった一家には捕縛懸賞金がかけられ、カネに目のくらんだ友人の裏切りなど、一家をとりまく人間関係は分断される。

『パラサイト』の「結核」、『グエムル』の「強力なウイルス」が毀損したのは、長年の功労にもかかわらずボロ雑巾のようにつまみ出されるムングァンのように、せんじ詰めれば、もっとも弱い立場におかれた人々の「生命の尊厳」ということなのだ。

映画のなかで起きていることは、くしくも未知の新型コロナウイルスのパンデミックに翻弄される現世界を言い当てている(たとえば国が休業補償を出さないために事業をたたまざるを得ない人々のことを考えてみてほしい)。実際、日々刻々と感染者を増していく日本で、そして世界のそこかしこで、多くのムングァンたちが排除され、人が人を裏切り、足蹴にするような出来事が起きているのではないだろうか。