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# 現代思想 # 自閉症 # 芸術

芸術においてなぜ「真摯さ」が問題になるのか

オブジェクト指向哲学と自閉症

芸術は言語と実在を結びつける

社会学者の大澤真幸は、動物行動学と精神病理学の知見から、近代社会以降に誕生した芸術と自然科学の分岐点を明らかにしている。そこでは言語を意味として学習する人間と、意味としてではなく感覚(図形文字)として識別しているチンパンジーが比較され、人間の言語の成立する条件には芸術の自立性の働きが作用していることを示唆した。

どういうことか。中枢性疾患による症状では、「靴」という意味内容は理解できても、それがどこにあるのか目の前の靴を指示することができない。しかし、患者は歌を歌いながらであれば目の前の靴を「靴」として手にとることができ、料理もでき、普通に生活できたのである。つまり、言語(S)とそれが意味する実在(R)を結びつけるのに芸術が可能性の条件として働いていることになる。

 

そもそもなぜ人間は質の異なる言語とその実在を同一のもの(S≡R)として把握できるのか。チンパンジーにとって言語はあくまでも言語、実在はあくまでも実在であり、その繋がりは自明ではない(S≢R)。逆に人間がこれらを同一に捉える方が特殊なのだ。

芸術はそれ自身を目的化して成立したもの、すなわち、実在的な記号であり、何かを模倣して描いた絵画だとしても、単独で意味を持つのが芸術作品である。先の患者の例で言えば、歌う行為によって、言葉が実在と同一であることを回復させたということだ。

仮に実在そのものの名前すなわち固有名詞であれば、指示するものと意味内容との間の隙間が少ない以上、言語がその事物(オブジェクト)に近いと言える。これは近代社会以前の言語が広義の芸術であることを示しているということだ。芸術には一般に心的な効用があると言われたりするが、それはこのことからも伺えるだろう。

しかし、私がむしろ問題にしたいのは、動物にとっての図形文字や、脳損傷の患者の方にある。

広義の芸術が言語の可能性の条件であるのなら、ラカンが「無意識は、言語のように構造化されている」と述べたように、人間の現実には言語(思考)が無意識として機能しているということだ。

しかし、たとえば画家のマグリットが「これはパイプではない」という言葉を入れた絵画で、それが実在のパイプではなく絵に過ぎないことを表象したように、言語的な実在を掘り起こすことでオブジェクト性を露にしたのがある種の現代芸術なのである。