2020.04.13
# 日本史

「史料を疑う」ことで見えてくるものーー歴史研究者に求められる姿勢とは

<日本史のツボ>のツボ 第6回その②
本郷 和人 プロフィール

「将軍くじ引き」の真相 

さて、「くじ引き将軍」擁立の1件である。私は八百長だと解釈するが、それはどうやったら証明できるだろうか。

難題である。史料に即して、というのが一番簡単だし王道だが、八百長を直に示唆する史料はないのだ。しかもことは神仏に対しての感覚に関わることだけに、なおさら。

汝の神を試すことなかれ、という言葉がある。神の栄光に疑問を持つこと自体がもう不敬である。神は本当にいるのだろうか、などと考えるだけで悪魔的だ、というのが中世キリスト教会の教えである。

これをあてはめると、満済が工作をしたというのなら、彼は宗教人であるにもかかわらず、恐れ多くも神の名を騙る行為をしていることになる。研究者の多くは「室町人は神仏に敬虔な気持ちをもっているはず」だから、八百長なんてとんでもない、ましてあの本郷が言うことだから、まじめに考えるだけ阿呆らしい、と言うだろう。

だからこそ私は、ずっと証明方法を考えてきた。そしてようやくめぐり会ったのが、湯起請なのだ。まさに足利義教が将軍として在任しているその時期、幕府の役人は湯起請を裁判に取り入れていた。判決に至る1手段として、活用していたのだ。

幕府は神仏を大切にしていた。これは疑いようがない。けれども一方で、神仏を利用することを始めていた。神仏が聖なるものであるほど、それは利用価値があった。そう考えなければ、湯起請を説明することはできないではないか。ここが第1段階である。

 

「湯起請」と「将軍くじ引き」の関係性

第1段階を押さえると、この時期の神仏観が見えてくる。はるかな昔、湯起請は「くがたち」として存在した。ところが、そのあと、ぷっつりと使用例がなくなる。ところが1400年くらいに急に用いられるようになる。両者は同じことをしているが、たぶんそれを成り立たせている精神は全く違うものだろう。

古代人は純粋に神を信じていた。だが、室町人は神仏を重しとしながらも、それを自分たちの都合で使い始めた。

とは言え、庶民までもが「神や仏なんて、実はいないんじゃないか」との思いを強烈に共有していたとすると、神に誓いを立てる湯起請は、ばかばかしいと鼻で笑われて成立しない。神仏は敬うべきものだ。だが神は本当に実在するのかな? そうした疑問が出てきた段階。神仏への矛盾した思いが両立した時期。それが室町中期だったのではないか。

そうであるならば、石清水八幡宮で神意を確かめる将軍のくじ引きが仕組まれた可能性は、きわめて高いといえるのではないか。

三宝院満済は宗教者であるとともに、当時の最先端の知識人である。彼の記した『満済准后日記』を読めば、かれが有能で柔軟な保守主義者であることがよく分かる。満済ならば、神の名を騙っても不思議はない。私はそう考える。

青蓮院義円こそが将軍にふさわしい。その選択は間違っていない。ならばそれを神の名のもとに安定させることは正義だ。そう満済は考え、裏工作を実行した。それが「将軍くじ引き」1件の真実である、と私は考える。それは「史料を疑う」ということの好例でもある。

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