「八百長」で選ばれた将軍!?史料のウラに隠された真実とは

<日本史のツボ>のツボ 第6回その①
本郷 和人 プロフィール

どこからどう考えても...

先ず私が不思議に思ったのは、この1件について、歴史研究者が八百長というか裏工作の存在を疑っていないことであった。押さえておくべきだが、義教は将軍就任にきわめて前向きだった。室町殿の主となるや直ちに政務を掌握しようとして、儀式と手順を経てからにせよ、と周囲にたしなめられている。将軍になり損ねた大覚寺の義昭は不満をもち、謀反を疑われて誅伐された。

つまり、このときに将軍というポストは人気があったのだ。でき得れば「なりたい、手に入れたい」地位であり、決して忌避され、押し付け合われるべきものではなかったのである。となれば、そこには「私をぜひにも将軍に」、また「あなたを将軍にするよう工作するからその見返りを」のような動きがないはずはあるまい、というのが私の素朴な感想であった。

そこで改めて調べてみると、くじを作成したのは、当時の幕府の政治顧問ともいうべき真言宗・醍醐寺三宝院の満済という高僧であった。また、満済と管領の畠山満家とは政治的な協調関係を築いていた。とすると、満済が4本のくじにすべて「義円」と書いておけば、あるいはもっと慎重に事を進めるとしても満家を抱き込めば、八百長が簡単に成立するのだ。

しかも義教が将軍になると、満済は太皇太后・皇太后・皇后の3人に次いで尊貴な「准三后(略称が准后)」の待遇を得ている。これが論功行賞でなくて、いったい何であろうか。

 

第一級の史料であっても疑え

かくて素朴な感想は、私の中では1つの見解に昇格した。そこでそのことを論文に記すと、名指しこそされなかったけれども、室町幕府研究者である今谷明先生(たいへん地道な基礎研究をされる一方で、足利義満は天皇になる野望をもっていた、という雄大な説を発表して世間にもよく知られていた)から批判を受けた。

「足利義教擁立のくじ引きは八百長だという説があるようだが、第一級の史料に『石清水社の社頭で厳かに引いたくじを開封したら、義円の名が記されていた』と明記されている。それを疑うならば、もはや実証史学とはいえない」と。

ここにいう第一級の史料とは、満済が記した日記、『満済准后日記』のことである。室町時代、とくに政治史を勉強する研究者は必ず読まねばならぬ根本史料、基礎資料である。史料に基づいて歴史像を復元する。これが歴史学の第一の方法であることは、何度もくり返してきた。勝手な思い込み、虚偽に基づいた解釈からは、真の歴史は語れない。それはその通りである。だが、ここでいよいよ「④史料を疑う」が必要になるのだ。

振り返ってみて欲しい。現代人も日記を書く。あとになって振り返るために、ほんのメモ程度でも、今日はこんなことをした、こんなことがあった、と記す人は少なくないはずだ。

さあ、このときに人は、真実だけを書くのだろうか?

卑近な例であるが夜のお店に行って女性にもてたとする。万が一にも奥さんに日記を見られたらまずい。そういう思いから、夜はずっと残業だった、と書かないだろうか? 私なら少なくとも他人に見られてまずいことは書かないし、自分だけが分かる暗号・符号を用いるし、ウソを書くことだってある。