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「八百長」で選ばれた将軍!?史料のウラに隠された真実とは

<日本史のツボ>のツボ 第6回その①
日本史は面白い。しかし、「ほんとうのこと」を知るためには、やはりスキルと知識が必要だ。歴史を学ぶ、歴史に学ぶ――そのために必要なこととは?
〝本物の歴史の学び方〟を教える、東大教授・本郷和人氏の連載「<日本史のツボ>のツボ」。第6回の今回は、前回に引き続き「史料を読むとはどういう行いか」について、2回にわたって解説します。

第6回・前編では実際の史料を読み解きながら、「より深く」読むためのコツを解説します。

史料を新しい視点から読む

さて、前回は、史料を読むという行為を次の4つに分類してみた。

①史料をしっかり読む。
②史料を深く読み込む。
③史料を、新しい視点から読む。
④史料を疑う。

このうち①と②については説明したので、今回は③と④について述べてみたい。

室町時代中期の永享4年(1432年)に、室町幕府が裁定した訴訟案件があった。元の史料を読み下し文にして再掲する。

一つ、相国寺領の山城国寺田庄と小笠原備前守持長の知行分である同国富野郷とが相論する堺の事。
両方を召決せらるの刻、富野郷の沙汰として寺領の百姓を召し捕り、剰え一人誅せしむと云々。且うは中間狼籍(藉)といい、且うは鹿苑院殿御仏事中といい、旁た以て領主その咎を遁れがたし。爰に持長、存知せざるの由、陳じ申す。しからば代官【時に庄主】の所行か。不日、召進むべきの旨、仰含められ訖。仍って参路(洛)を致し、湯起請【その文章、詮を取る、かくの如き題目、領主として申し付け、沙汰を致さずと云々】を以て糺明あるの處、指腹白く焼ける。此の上は咎已に露見の間、尤も所帯を攻(収)公せらるべしといえども、寛宥の儀に就きて、三重野の論所の地を以て寺家に付せらるべし。早く御教書を書きあぐるべき也。
        永享4年8月12日              大和守貞連 
                                                         対馬守貞清
                       肥前守為種            

ここでは相国寺領の寺田庄と、小笠原持長が知行する富野郷とが、土地の境界について争っている。裁判は審理中にもかかわらず富野郷が乱暴を働いたということで、寺田庄側の勝訴となった。

ついで問題になったのが、富野郷の乱暴を指示した犯人が持長なのか、持長が任命した庄主(富野郷を管理する人)なのか、という点。これは湯起請の結果、庄主が真の犯人だと明らかになった。 

 

熱くないワケがない

以上を踏まえて、さて湯起請なるものについて考えてみよう。

神仏に誓いを立ててから、熱い湯に手を入れる。ウソをついていると手は焼けただれるが、真実を述べているなら神仏の加護により、やけどをしない。これが湯起請の原理であり、裁判の根拠として用いられた。

だが、ここで改めて考えてみよう。神仏を信仰していようがいまいが、真実を述べていようがいまいが、煮えたぎった湯に手を入れれば、やけどは免れない。もちろん、精神の効用を否定するつもりはないのだ。神仏に帰依して悟りを開いているような「すごい人」が、熱いとか苦しいとかの感覚を超越するということは「ある」のかもしれない。だが、有名な話だが、戦国大名の武田家が滅びる混乱の中で、高僧・快川紹喜は亡くなった。これは歴史的な事実であって、動かしがたい。

武田信玄が帰依したこの僧は、織田信長に敵対した人を自らが住する恵林寺(塩山にある武田家の菩提寺)に匿い、織田方の引き渡し要求を拒絶した。織田兵が火を放つと、快川は少しも騒がず、「安禅必ずしも山水をもちいず 心頭を滅却すれば火も自づと涼し」の言葉を残して、火中に消えていった。

この局面で、彼の強靱な心は、身を焦がす熱さをはねのけたのかもしれない。また宗教的な見地からすると、気高い精神は不滅だという意見もあるだろう。だが肉体はどうあっても、炎によって失われる。それが俗世の「もののことわり」であって、否定することはできない。

そこで湯起請である。熱湯に手を入れればやけどをする。神や仏は関係ない。それを幕府の奉行人(裁判を行う、法の専門家)たちはよくよく理解していたのだと思う。現代人にとっては当然のこの認識を自身が納得した上で、同僚たる他の奉行人と相談して、審理の遂行や判決の根拠として役立てていたのではないか。

この訴訟についていうならば、奉行人たちには小笠原持長を処罰するつもりは初めからなかった。責任は現地の庄主にとらせる。その結論が先にあった。彼らは持長にごく軽いペナルティを科して裁判を終了するための根拠として、湯起請を持ち出した。将軍・足利義教もそれを認めた。つまり幕府の法廷は、神聖であるはずの神仏を、利用したのである。