信仰は幸福への道なのか

いま振り返ってみると、幼い頃のぼくを取り巻く環境はなかなか過酷なものだったと思う。両親は聴覚障害者、祖父は気性の荒い元ヤクザ、そして、異常とも言えるほど宗教にのめり込む祖母。

どうしてぼくの家は“ふつう”じゃないのだろう――。同級生の家族を見るたびに、ぼくはいつも暗い気持ちに襲われた。

つらいこともたくさんあった。それでも、死んでしまいたいとは思わなかった。当時のぼくには、信仰があったから。祖母が繰り返し言う通り、神様を信じてさえいれば、いつか幸せになれるんだ。一見、異様かもしれないけれど、祖母は間違っていないんだ。そう思っていた。

けれど、ある日、熱心に信仰していたはずのいとこのマイちゃん(仮名)が、信じられないような事件を起こした。それは信仰=幸福への道、という方程式を揺るがすものだった。

いわゆる「宗教三世」であるライターの五十嵐大さんによる連載「祖母の宗教とぼく」。信仰熱心な祖母の影響で幼い頃から宗教活動をしてきた五十嵐さんは、幼い頃から時折抱いてきた「疑問」「違和感」の理由を、大人になってから明確に知ることになる。信教の自由は憲法でも保障されているが、それは「個人単位」のはずではないのだろうか。自らの意志で決めたのではない「信仰」について、祖母との関係から綴っていく連載の第3回は、信仰の犠牲となりながらも祈り続けるいとこの話をお伝えする。
五十嵐大さん連載「祖母の宗教とぼく」これまでの記事はこちら

ぼくの左耳に空いた、3つの穴

ぼくの左耳には、小さな穴が3つ並ぶようにして空いている。ピアスの穴だ。それを空けたのは、二十歳になるちょっと前の頃だった。

Photo by iStock

当時、俳優を目指していたぼくはパチプロ崩れのような生活をして、日銭を稼いでいた。けれど、ギャンブルの才能がなかったぼくは、パチンコが下手くそだった。オーディションを受けるため、東京に行くための費用が足りない。そんなときは、知人が経営する飲み屋で短期のバイトをさせてもらっていた。ピアスの穴を空けたのは、そのバイト先のバックヤードでだった。

バイト仲間の女の子が「ピアスを空けると、運命が変わるんだって」と言っていた。バカみたいなジンクスだけど、ぼくはそれを真に受けたのかもしれない。なかなか夢は叶わないし、家庭はめちゃくちゃ。そんな状況を打破したい、という想いもあったのだと思う。すぐさまピアッサーを用意したぼくは、その子が見守るなか、一気に3つの穴を空けた。

バチンという音がした後、遅れて鈍い痛みが訪れる。耳たぶは赤く腫れて、触れると熱を持っていた。痛いはずなのに、なぜかそれが心地よかったことを覚えている。