裁判所からの「忠告」…宮城県名取市「閖上津波訴訟」の現場から

ある震災遺族の9年間【第4回】
東日本大震災発生から1ヵ月後の名取市閖上の様子(2011年4月18日、筆者撮影)
東日本大震災の発生から丸9年を迎えた翌日の2020年3月12日、仙台高等裁判所で、「被災地最後の津波訴訟」といわれた「閖上津波訴訟」の和解が成立した。和解金は無く、訴訟費用も双方の負担となった。この「和解」に際し、改めて震災遺族の9年の足跡を振り返ってみたい――。

【第1回】「鳴らなかった防災行政無線」
【第2回】「最低最悪の一審判決」
【第3回】「苦渋の『和解』」

裁判官が名取市に向けて語ったこと

東日本大震災の発生から丸9年を迎えた翌日の2020年3月12日、仙台高等裁判所で、「被災地最後の津波訴訟」といわれた、閖上津波訴訟の和解が成立した。

通常、和解は、双方の当事者や代理人弁護士、裁判官のみが出席し、各裁判所民事部の「和解室」で行われるのだが、この日は竹澤さおりさん、守雅さん夫妻ら遺族側の強い要望で、大法廷である101号法廷で開かれ、支援者らの同席のもと、受命裁判官が和解条項を読み上げる――という異例の措置が取られた。

本連載の第1回や、前回で詳述した和解条項が、受命裁判官によって読み上げられた後、和解成立を受け、被控訴人である山田司郎・名取市長の、次のようなコメントが、弁護士によって代読された。

「本日は名取市長として、是非とも仙台高等裁判所における和解の場に出席したかったのですが、市の定例議会中という事情があり、それが叶いませんでした。

名取市としては裁判所の和解勧告を真摯に受け止め、和解協議に応じ、議会の決議をいただいて、和解を受け入れるに至ったものです。

今後とも、和解条項を踏まえ、震災で亡くなられた市民の皆様の無念の気持ちを忘れず、被災された皆様の気持ちに寄り添いながら、東日本大地震の記憶と教訓を後世に伝承し、風化させないように防災意識を醸成していくとともに、引き続き防災・減災対策を講じ、災害に対する備えに取り組んでまいりたいと思います。

最後に、改めて東日本大地震で亡くなられた皆様のご冥福をお祈り申し上げると共に、ご遺族の皆様にも心からお悔やみを申し上げます」

そして、この山田市長のコメントが読み上げられた後、今回の和解協議を担当した畑一郎裁判官は、「裁判所からも一言だけ申し上げたい」と、名取市側に対し、次のように語りかけた。

「和解に対する裁判所の思いというのは、先ほど読み上げた前文の通りです。和解条項にもあります通り、『この和解が成立した』ということは、『これで終わり』ということではありません。今後の防災・減災施策の一つの出発点というものですので、特に被控訴人(名取市)におかれましては、控訴人(竹澤さん夫妻ら遺族)らの思い、あるいは被災者の思いに応え、和解内容の実現に向けて取り組んでいただければと思っております」

それは、東日本大震災の発生から今日に至るまで、津波の犠牲者遺族の「思い」に真摯に向き合おうとせず、震災前の防災体制や、発災時の初動についての「検証」からも目を背け続けた結果、遺族から法廷で「公助責任」を問われることになった名取市に対する、裁判所からの「忠告」のようだった。そして畑裁判官は正面に向き直り、こう続けた。

 

「本和解の裁判所案につきましては、控訴人におかれましては、将来の防災への期待というところを重視されて、苦渋の決断をいただきました。被控訴人につきましても、特に課長以下の担当者の方には、行政的には厳しいところ(内容)を、組織としての意思決定に繋げていただきました。

このようなことにつきましては、双方の訴訟代理人が、裁判所の和解案につきまして、裁判所の考えているところを、双方に適切にお伝えいただいた結果だと思っております。

当事者双方、及び関係者の皆様に対し、裁判所の最終案へのご理解を改めて感謝したいと思います」【( )内は筆者補足。以下同】

和解成立後、記者会見する遺族側弁護団(2020年3月12日、筆者撮影)
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