新型コロナ危機に、あなたは「日本人でよかった」と思いますか?

その「気分」を分析する
将基面 貴巳 プロフィール

このように国家が「神社」のような聖なるものとしての性格を持つ結果、国家は国民に対して忠誠心を抱き服従することを求める。その究極形態が国のために生命を犠牲にすることである。特に戦争中は、国のために死ぬことが名誉とされ、戦没兵士達は殉国者として顕彰されるが、それはキリスト教信仰のために自分の生命を投げ出す殉教者と相似している。

靖国神社〔PHOTO〕iStock

ここで重要なのは、国家が「サービス・プロバイダー」でありながら「神社」でもあるため、国民が国家に対して取るべき態度は二つの相反するものとなってしまうという点である。国家を「サービス・プロバイダー」として理解する場合、国民は、国家がどれだけよいサービスを提供するかどうかを常にチェックすることになる。毎年、税金としてサービスへの代価を支払っている以上、国民はそれ相応に良質なサービスを受ける資格があるはずである。

すなわち、「サービス・プロバイダー」として国家を理解する国民は、国家の仕事の内容を常に吟味し、それに満足するなら賛意を示すだろうが、不服ならば時の政権を批判することになろう。

一方、国家を「神社」として理解する場合、国民は国家をひたすら敬い、これに従うようになる。「神社」にお賽銭を上げて願い事をしたにもかかわらず、それが実現しなかったからといって「神社」を訴える人はいない。「神社」は聖なる「ありがたい」ものであり、不可侵の存在だからである。むしろ戦時中の国家神道のように、国家のための自己犠牲を強いることにすらなるわけである。

 

ニュージーランドと日本の違い

以上のように、国家を「サービス・プロバイダー」と「神社」の両側面で把握するならば、ニュージーランド人が「ニュージーランド人であることに感謝する」という場合と、日本人が「日本人でよかった」という場合では、表現の相似性とは裏腹に、国家に対する態度のベクトルの向きが正反対であることは明白であろう。

「ニュージーランド人であることに感謝する」とは、ニュージーランド政府が、コロナ危機に際して、迅速かつ有効な政策を断行したことに対する称賛の表現である。これは、ニュージーランドという国家を「サービス・プロバイダー」として理解する態度の帰結である。