新型コロナ危機に、あなたは「日本人でよかった」と思いますか?

その「気分」を分析する
将基面 貴巳 プロフィール

近代国家の役割

拙著『日本国民のための愛国の教科書』で中学生にもわかるように噛み砕いて論じたことだが、近代国家は国民に対して「ヤクザが経営するサービス・プロバイダー神社」として立ち現れている。

通常、国家が一面において「サービス・プロバイダー」の役割を果たしているということは、公共事業として道路をはじめとする様々な公共施設を造営したり、高齢者や障害者に福祉サービスを施したり、犯罪者を取り締まって治安を維持することに明らかである。そうした一連のサービスを受けるために住民は納税義務を果たすわけである。

一方、国家は「ヤクザ」が経営する組織だというのは、かつて社会学者マックス・ウェーバーが指摘したように、国家が正当な暴力行使権を独占するという意味である。そうであればこそ、警察官は警棒や拳銃を所持し、国家によっては犯罪者を死刑に処することもできるのである。

そして、こうした暴力を背景としてロックダウンも可能となる。アメリカの社会学者ジョン・トーピーが論じたように、近代国家の特徴の一つは、人的移動の自由を制限する正当な権限を独占することである。ロックダウンは、国内だけでなく国外との人的移動を制限する国家独自の権力が剥き出しになった状態に他ならず、そうした制限は、法的制裁という「暴力」によって強制されるのである。

さらに、国家の第3の側面として「神社」的性格を指摘できる。すなわち、国家は国民にとって「ありがたい存在」であるという点で「神社」のような宗教団体に似ているということである。

たとえば、国旗は国家の聖なるシンボルであって、これを踏みにじられたり燃やされたりするなら腹立たしく思うものであろう。アメリカ人であれば、星条旗の掲揚に際して、右手を胸にあてて直立不動の姿勢を取るものだが、それは国旗によって象徴される国家への崇拝感情を表明するものに他ならない。

こうした崇拝感情が宗教的性格を有するという点を理解するには、「踏み絵」と比較してみればよい。踏み絵に描かれた十字架上のキリストは、キリスト教信仰を持たないものにとってはただの絵にすぎないが、キリシタンにとっては聖なるもの、崇拝の対象であった以上、それを踏みつけにする行為は神への冒涜を意味した。国旗の国家に対する関係は、踏み絵の神に対する関係と同様だということは明瞭であろう。