志村けんさんが、70歳を過ぎて見せるはずだった「新境地」について

山田洋次監督の期待と無念
荻野 アンナ プロフィール

体をもっといたわってくれていたら

志村けんが70歳で志した演技も、私の言う学問に近い何かだったのではないだろうか。新しいチャレンジであると同時に、奥深い伝統に連なる行為だ。ただしそのチャレンジを生かすためには、より健全な肉体が必要だった。

再び山田監督を引くが、志村が自分の才能を認めて、体をもっといたわってくれていたら、というのだ。最近禁煙し、酒の量も減らしてはいたが、以前は朝まで飲んだその足で仕事に行ったりしていたようだ。

若き日の志村けん(1976年撮影、gettyimages)

われわれ凡人よりも、才人のほうが、高い理想を設定し、才能不足に苦しむ。さらにお笑いが「命」の志村は、そのために命を削りつつも、仕事が時代に消費される早さにも翻弄されたことだろう。呑まなければ、吸わなければやっていられない、という日々が長かった。すでに肺炎の経験もあり、この1月には胃のポリープの手術をしていた。

70歳の志村けんの新境地を見られなかった、88歳の山田監督の無念。長生きも芸のうち、という言葉があるが、無芸なりに生きていけば、自分という不出来な作品もカタチが整ってくる。そのことに早く気付き、自分をいたわり、将来への準備を怠らないのが賢人だと思う。

 

死を忘れるな

志村けんへの弔意で、問題になったのは小池都知事のそれだった。知名人の彼が亡くなったことで、新型コロナウィルスの怖さが国民の実感になったことを、彼の「最後の功績」と表現したのである。言いたいことは分かるが、「功績」という上から目線はいかがなものかと、ネットで批判されていた。

「功績」とまとめられると、確かに嫌な気分だが、彼の死は人類の基本をわれわれの前に突き付けた。メメントモリ、すなわち「死を忘れるな」というモットーだ。

西欧中世はペスト、飢餓、戦争で多くの命が呆気なく失われた。そのことを表現する「死の舞踏」というテーマが存在した。教会や墓地の壁に、「死」が人間とペアを組んで踊りながら、全員をあちら側の世界に連れて行く有様が絵巻物風に描かれていた。

身分制度を重視する当時のキリスト教世界において、先頭を切るのは教皇で、次に皇帝が来る。今なら先頭要員はトランプかプーチンか習近平か。

志村けんの立ち位置は、死の舞踏ではどのあたりなのか。彼は聖火ランナーとして東村山市内を走ることを楽しみにしていた。しかし実際には「死」に手を取られて、あちら側にランニングしていってしまった。

いつ訪れるか分からない死を背中に感じつつ、これまたいつ訪れるか分からない将来のために心身を整えるしかないようだ。

「だいじょうぶだぁ」と自分をはげましながら。