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志村けんさんが、70歳を過ぎて見せるはずだった「新境地」について

山田洋次監督の期待と無念
3月29日が志村けんさんの命日になった。山田洋次監督は、自らの映画の主演を務めるはずだった志村さんについて、その早死にが口惜しい、と語った。70歳になってなお挑戦し続けた彼を襲った病と死。残酷な現実をどう生きればよいのか――芥川賞作家の荻野アンナさんがしみじみ語る。

アメリカ人の父も楽しめた

2020年3月29日は志村けんの命日になった。

コロナと闘う彼のニュースが流れて以来、昔の自分が「志村けんのお嫁さんになる」とホラを吹いていたのを思い出した。志村けんは1950年生まれ、私は1956年。物理的に不可能ではない、というだけの、テレビ画面のこちら側の楽しい妄想だった。

わが家は随分とドリフターズのお世話になった。日本語のわからない、フランス系アメリカ人の父親が楽しめる番組は、「8時だョ!全員集合」しか無かった。言葉は分からなくても、一緒に笑えれば団欒になる。だが実態は家庭内離婚であり、父親が母親の頬におやすみのチューをするたび、母親はその後でハンカチで頬を拭いていた。

 

決して愉快とは言えない日常だけに、土曜日の夜8時は格別だった。いかりや長介が指揮棒を振る聖歌隊のコーナーについて、父が語ったことがある。

「アメリカだと、放送禁止になっちゃうよ」

キリスト教を笑いの対象にするのは大胆なことらしい。文化の違いに驚くと同時に、われわれが考えている以上に日本の笑いは自由なんだと知らされた。

山田洋二監督が語った「早死に」

そこで志村けんに戻る。

私は「全員集合」が原点だが、テレビでマイクを向けられた人は、世代によって「だいじょうぶだぁ」や「バカ殿」や「天才!志村どうぶつ園」を挙げていた。半世紀近いキャリアで、何代にもわたるファンに愛されるのは、笑いという時事ネタが絡むジャンルでは稀有なことだろう。

様々なコメントがこの不世出のコメディアンに寄せられる中で、山田洋次監督のものが胸を打った。志村けんの「早死に」が口惜しい、というのだ。監督は88歳で現役である。その立場からすれば70歳は早死にかもしれない。

しかしそれ以上に、監督は志村のこれからの可能性を考えていたのだと思う。

山田洋次監督(photo by gettyimages)

志村けんはお笑い一筋で、役者の仕事は例外を除いて断った。その彼がNHKの朝ドラを引き受け、山田監督のもとで初主演映画を撮ることになっていた。

お笑いではベテランでも、演じる世界ではほぼ新人であり、切り開くべき獣道が彼の前に延びていた。そういう状態に自らを置くことが志村けんの若さであり、チャレンジ精神だった。