コロナ危機の深層〜「批判を避ける」ために、他人を煽っていませんか

信頼を失っていく言論
與那覇 潤 プロフィール

逆に相違点は、ウィルスは人を通じて感染するので、「自粛」する行為に一定の効果が期待できること。一方で買い占めや都市封鎖がなければ、流通ルートが地震で寸断されてはいないので、(過剰自粛を含めた)パニックを抑制して供給網を守る営為がより重要であること。2011年と比べれば、相対的に国民が政府を信頼していることでしょう。

そしておそらく、最も震災後と異なる点があります。国民がもう、「言論」になにも期待していないことです。

〔PHOTO〕iStock

問題の原因が国内の原発事故なのか、海外起源のウィルスかの相違は、むろんそれなりに大きいでしょう。しかし3.11の後に盛んだった「こうした危機に陥ってしまった“国のかたち”に、問題はなかったのか」・「混乱を終息させ民心の安定を取り戻すには、どういった社会を構想すべきか」を議論する声は、今回ほとんど目にしません。あるのはただ「ヤバい。危険だ!」の叫びと、「あいつ(ら)は無能、ふとどきだ」とする糾弾だけです。

 

このことが示すのは、2011年から20年までの9年間を通じて、言論というものがその信頼を一貫して失っていったこと。その結果として、人々は相互の議論や協力を通じて作り出され、維持される「社会」という存在をほぼ実感しておらず、いまや「自分」(個人)の感情を満足させ、自身の被害を最小化することだけが目的になっているという事態でしょう。

この9年間、言論人はみずから信頼の基盤を掘り崩してきました。「エビデンス・ベース」と称しつつ、実際には図表やグラフのビジュアルが生み出す雰囲気だけで押し切る態度の流行は、数値や比較対象の妥当性を吟味する知的な営為を欠いたまま、「感染者が急増! 封鎖しなければ全滅!」のような安易な読解で風説を拡散するSNSユーザーを増やしただけでした。

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