コロナ危機の深層〜「批判を避ける」ために、他人を煽っていませんか

信頼を失っていく言論
與那覇 潤 プロフィール

たとえばサラリーマンは「自粛せよ」と言われたところで、飲食店や遊び場に寄らずまっすぐ家に帰るだけですから、相対的には負担は少ないでしょう。しかし、その飲食店や遊び場で働く人々はどうなるでしょうか。休業を要請される業種への「補償が必要だ」とする声が上がったのはよいことですが、散々「感染者が増えた! 自粛が必要! むしろ封鎖を!」といった言動で煽っておいて、最後に一言「補償も考えてほしいですね」と添えておけば、パーフェクトに誰からも批判されない「模範演技」ができる。そうした振る舞いがメディアの種類を問わず、目立ち始めているように思います。

こうした「批判回避主義」のバチルスは、コロナウィルスに先んじて日本に上陸し、猛威を振るっていたのではないか。それが「善意でパニックが加速される」、危険な事態を招きかねない土壌となってはいないか——。私はそう感じます。

 

症例は「無難型」と「露悪型」

コロナと同じかはわかりませんが、このウィルスにも二系統あり、わかりやすいのは「無難型」です。典型はポリティカル・コレクトネス(ポリコレ)に依存する人たちで、黒人でなくアフリカン・アメリカン、同性愛者でなくLGBTと書くのが大好き。なぜなら、「安全」だからです。この用語さえ使っていれば批判されない、というガイドラインがはっきりある方がいいわけですね。

そうした志向自体が悪いわけではありません。しかし彼らの第一目的は批判されないことなので、すでに「ファッショナブル」な存在になったマイノリティには嬉々として味方しますが、意見が分かれそう・完全な正解を出すのが難しそうな話題は見て見ぬふりをします。たとえば発達障害がTVでポジティヴに取り上げられると「私もそうかも?」と便乗するわりに、「周囲とコミュニケーションが噛みあわず、障害が強く疑われる人に、どうハラスメントにならずにそのことを伝えるか」といった日常の問題では、なにもしません。

いっぽう、より目立ちにくい批判回避主義者として「露悪型」があります。ちょっとワルぶった態度で、言われて愉快な気持ちにならない「不都合な真実」(と称するもの)を発信するタイプですね。遺伝学や脳科学の知見を借りて「優生学は正しい。人間に優劣の差は現にある」と主張したり、ビックデータやAIを礼賛して「プライバシーなんて要らない。総監視社会を作ったほうがむしろ幸せ」と唱えたりする風潮は、ここ数年の出版界を席巻してきました。

関連記事

おすすめの記事