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コロナ危機の深層〜「批判を避ける」ために、他人を煽っていませんか

信頼を失っていく言論

「批判回避」を最優先する政治家たち

「ウィルスより人が怖い」

――こうしたドラッグストアの店員さんの声が報じられたのを、ご記憶の方も多いでしょう。パニックに煽られた客がトイレットペーパー等の紙製品に殺到し、不穏な空気が街中の商店に流れた3月上旬のことです。「紙不足はデマだ」という正しい情報が広く知られた後も、実際に店頭で当該の品物を見かけない日々は長く続きました。

世界的にコロナウィルスの流行は続いており、わが国でも安倍晋三首相や小池百合子都知事が頻繁に会見を開いては、国民(都民)に「自粛」を要請するパターンが繰り返されています。そうしたニュースを報じる記事のコメント欄を見れば、しびれを切らしたのか「もう緊急事態宣言しかない」「一刻も早く都市封鎖してくれ」といった書き込みが溢れている。SNSでも同様でしょう。

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しかしそうした世相を見るたび、私の脳裏には「コロナより批判が怖い」というフレーズが浮かびます。

安倍首相や小池都知事がいまのところ、緊急事態を宣言することに対して慎重なのは、二重の意味で合理的だと思います。

第一に、私権が制限される事態は、可能なかぎり避けることが望ましいからです。人権擁護上の観点はもとより、行政の混乱や経済活動の停滞をこれ以上加速しないためにも、それなしでは「回復不可能な大損害」が避けられないぎりぎりの局面までは、強権の発動には抑制的であるべきでしょう(なお都市封鎖に関しては、そもそも法的に可能かどうかも疑問が出されています)。

いっぽうで第二の理由は、それほど美しくないものです。緊急事態を「自分から積極的に」宣言してしまえば、当然その結果(たとえば物流の崩壊)にも責任を一人で負わねばならない。さらに一度でも宣言すれば、「いつ解除するのか」というより難しい課題が出現します。解除後に感染者数がなんらかの理由で増えれば、民意は激昂して責任を問うでしょうし、かといっていたずらに解除を引き延ばし不自由な生活が続けば、これまた国民の不興を買うことは確実だからです。