また大炎上…安倍昭恵夫人はなぜ過去に「学ばない」のか

国民が巻き込まれる壮大な「自分探し」
井戸 まさえ プロフィール

ちなみに、森永製菓の創始者、森永太一郎氏は明治時代アメリカに渡り、その後帰国し成功したごく少数の日本人である。

婦人運動家・社会思想家だった山田わかの生涯を描いた『あめゆきさんの歌―山田わかの数奇なる生涯』 (山崎朋子・文春文庫)には、アメリカ時代の太一郎の熱心なキリスト教徒ぶりも紹介されている。

だァれもいないと思っていても
どこかでどこかで エンゼルは いつでもいつでも ながめてる
ちゃんと ちゃんと ちゃんと ちゃんとちゃちゃーんとながめてる

「桜を見る会」に関する論考として「論座」にも書いたが、太一郎氏が作った西洋菓子は普通の菓子ではない。この「森永エンゼルの歌」に象徴されるように「布教」の一貫としてメッセージを伝える役割を担っていたとも言えるだろう。

奉仕と施しの実践は、聖心で学んだ昭恵夫人の中にも染み付いていることであろうが、当然ながらアメリカの公園で寝泊まりするほどの強烈な貧困や差別体験を持ち「施される」体験をした太一郎氏とは覚悟も実践内容も違う。

昭恵夫人のロールモデルは常にあくまで「施す側」である。「施す側」の仲間を増やし「かわいそうな人々」を救う。「win-win」の関係を作るのが自分の役割だとも思っているだろう。決して「施される側」になることはないからこそ、その人たちがどう思うなど想像が及ばない。

自分たちの存在価値を確認するためには「施される側」、つまりは「かわいそうな人々」がいないと成立しないという皮肉なパラドクス。表面的な感動が量産される一方で根本的解決は先送るされていく。

 

セレブを集めるだけではもちろん変わらないのであるが、いずれにせよ、昭恵氏の本のタイトル『「私」を生きる』(海竜社・2015年)の通り、私流、私本位で進められていくのである。

時にそれが取り返しのつかない悲劇を生んだとしても、他人事。普段、昭恵氏の日常にはいない「かわいそうな人々」への共感に比して、身の回りで起こっている深刻な事象に対する徹底的な不感は、興味関心が「私」にしか向かっていないことを示してもいる。