自分を解放できるのは自分自身

とはいえ、「親に不満をぶつけても意味がない」「親を責めることは解決にならない」等と安直に言ってしまうのもやはり憚られます。実際に苦しい思いをして来たという歴史そのものはそう軽々にあしらって良いようなものではなく、言われた当人は抱えている苦しさをどうしていいのか、やり場がなくなってしまうだろうからです。

体罰は身体の暴力だけではない(写真の人物は本文と関係ありません)Photo by iStock

毒親を擁護しているわけではなくとも、子であった自分の気持ちよりも親の立場を優先する言説を唱える人なのだな、と思われてしまえばその時点で信頼関係は失われてしまいかねません。どうしても感情は先に立ち、不快な記憶が理性の前に呼び起こされてしまうでしょうから、それには十分配慮する必要があります。

ただそれでも、本質的な解決のためには書いておかなくてはならないことがあります。もちろん単純な毒親論を展開することもできるのですが、それは多くの毒親育ちを却って惑わせてしまうものになると私は考えています。毒親育ちである自分を解放できるのは、親ではなく、自分自身であるということを私は言いたいのです。

家族はやっぱり素晴らしいだとか無条件で温かいものだとか言うつもりはさらさらありません。家族関係、特に血族関係は、相手を自由に選ぶこともできず、一度選ばされてしまったらリセットすることも難しく、しかも決して相性が良いとは限らないその相手とほぼ一生、何らかの形で付き合い続けなければならないという閉塞感のある人間関係です。

これを何とかやり過ごすのが大人の知恵というものですが、残念ながら人間は最初から大人ではないのです。人間の子どもは、立場も体力も知能も一人で生きていくには不十分な程度しかもっていません。そんな存在がこの閉塞的な環境に適応できるかどうかという問題を考えるとき、かなりの高確率で、不適が起こるだろうと考えることはそうおかしな話ではないでしょう。
 
そして実際にかなりの高確率で、不適が起こる、つまり、毒親育ちの子どもたちが生じているのです。