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科学を「役に立つ」だけで語ってはいけない、ノーベル賞学者の思い

大隅良典×中島岳志×伊藤亜紗

【前編はこちら】

「膜」の面白さ

伊藤 私は、現在は人文系の研究者ですが、もともとは理系で、学生のときは生物学をやっていました。その中ですごく面白いなと思っていたのが「膜」でした。「膜」というものが生命を作るのだ、ということに感動していました。「膜」は、内と外を分けつつも両者をつないでいる、とても不思議なものですよね。

人文系では人間が単位になってくるので、どうしても「個」という分かれたものから発想しがちです。そこから「主体性」とかその人の「能力」といったことが議論される。でも、「膜」のことを考えると、本当にそうなのかな、という疑問がわきます。そんなに分かれているのかな、と。

たとえば、障害を持っている人と関わっていると、能力というのはネットワーク的なものなのではないかと思います。ある人が見えなくても、その人は巧みに別の人の視力を使いこなして、生きていたりする。「見る」という能力が「個」からはみ出して流出していくような、まさに「膜」的な関係があります。

 

大隅 「膜」の概念は、生物学で習うと難しいところから入っていって、あまり本質が議論されないことが多いんですよね。

生命が誕生したとき、「これは生命です」というには「境界」が必要です。生命の誕生そのものに、囲い、バリアとして「膜」が必要だというわけですね。細胞は、中も水溶液、外も水溶液なので、それをすごく薄い脂の層で絶縁をしました。それが最初の「膜」。

だけど、同時に生命というのは、いつも外からエネルギーなどの分子を取り入れて、中の物質の状態を保たないといけないので、完全に隔絶していたらなかなかうまくいかない。必ず外とのやり取りができるということもまた条件で、生体膜というのは、ものすごく優れたバリアファンクションなんです。

勝手に出入りしない機能と、必要なものを取り込んだり出したりする機能──やりとりするのはモノであったり、情報だったり、エネルギーだったり──内外ともありとあらゆる物質情報をコントロールするのが「膜」なんですね。

「(分かれるものが)水溶液なので、本当に薄い脂の層で分かれた時、イオンが自由に行ったり来たりしないよ」というのが生命の本質だということをきちんと理解させると、もう少し細胞って面白い存在に見えてくるのにな、と思います。「生体膜があります」「脂質二重層で出来ています」「膜電位を生じます」というふうに教科書的に書くとつまらない…どうして教科書ってつまんないんだろう(笑)。