「自分がダメだという自覚のない人」が思考停止する理由

連載『問題発見力を鍛える』vol.5
細谷 功 プロフィール

「自覚がない」のは救いようがない

このような自覚のなさは様々な場面で同様にあてはまります。

「ああ、酔った酔った」と言っている酔っ払いと「自分は酔っていない!」という酔っ払い、どちらがたちが悪いでしょうか?恐らく飲酒運転で事故を起こすドライバーは「この程度は大丈夫だ」という形で自分の酔いを自覚していないことが多いでしょう(自分が酔っているという自覚があれば、そもそも運転しないであろうからです)。

さらに他の例を挙げましょう。「ダメ上司のための本」は当のダメ上司は読みません。ダメ上司のダメ上司たる最大のゆえんは、自分のダメさに他ならぬ自分自身が気づいていないことだからです。さらには、「論理的に考えられない」人の最大の課題は「自分が話していることが論理的でないことの自覚がない」ことです。

これらに共通していることは、「自覚がある悪」は長期的には自然に解決できる方向に向かう可能性が高いのに対して「自覚がない悪」というのはむしろたちが悪いということです。

「無知の知」と「3つの領域」

このような構図を知の世界に当てはめてみましょう。知の世界においては通常「知らない」こと、つまり十分な知識がないこと、あるいは「無知」は最大の問題であるとよく言われます。ところがこれを先の構図に当てはめてみれば、無知であることそのものよりも、自分が無知であることを自覚していないことの方が問題としては大きいということになります。

これがギリシア時代の哲学者のソクラテスが唱えたといわれている「無知の知」という概念です。つまり問題なのは、無知であることではなく、無知の無知、つまり無知であることを自覚していないことなので、無知であることを自覚することが重要だということです。

「自分は何も知らないから」という人と、「自分はなんでも知っている」という人、一見後者の方が賢そうに見えますが、ここまでの議論から実はその後者の方が自らの無知を自覚していない分「たちが悪い」可能性があるのです。

そのメカニズムを前回紹介した「3つの領域」にも関連付けてお話しします。

私たちの知の対象領域を図のように3つに分けて考えてみましょう。まずは知っていることと知らないこと、つまり既知と未知という2通りに分け、さらに未知を2通りにわけて、「知らないと知っている」既知の未知と「知らないことを知らない」未知の未知の領域として、これらを合わせて3通りの領域とします。