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「自分がダメだという自覚のない人」が思考停止する理由

連載『問題発見力を鍛える』vol.5

「悪気がない」ことは実は大問題

前回の連載で投げかけた以下の問題について考えみましょう。

皆さんが知人から、心が傷つくような言葉を投げかけられたとしましょう。その場合その相手が「悪気がない場合」と「悪気がある場合」とではどちらが「たちが悪い」と思いますか?そしてそれはなぜでしょうか?

ついつい失言等してしまったとき、あるいはふとした発言が自分の意図せぬ形で相手に不快に響いてしまった場合、私たちはよく「いや悪気はなかったんだよ」という形の「言い訳」をします。逆に悪気がある場合というのは、例えば自分より裕福な人に対しての金遣いの荒さを皮肉って「金持ちは違うよね」のような嫌味を言う場合には明らかいに相手に対しての否定的な気持ち、つまり悪意が働いています。

 

ここで上の「悪気がなかった」という言葉を改めて考えてみましょう。これを発した人間の気持ちとしては「だから許してね」という形で、その「罪のなさ」をアピールしたいのだと思います。ですからある意味この言葉を聞いた人は「いいよ、いいよ。わかったから」と許してあげることが多いでしょう。

「悪気のない人」は何が悪いか理解していない

でもよく考えてみて下さい。例えばなにげない人種差別やパワハラ、あるいは男女差別の発言などにおいて、「悪気のない人」というのは、裏を返せばその発言に関して「何が悪いかを理解していない」ために、反省もせずに何度もその発言を繰り返す可能性があるのです。

逆に、悪気がある人というのはそれば悪いとわかっていてやっている確信犯なわけですから「本来それが良くないことである」とわかっている分、それを禁止したり罰則を設けたりすれば(たとえ渋々であっても)それをなくすことは可能です。

つまり、「悪気がある」ことは単発的あるいは短期的な視点ではよくないことかも知れませんが、長期的に放置されることは少ない代わりに、「悪気のない」ことは短期的かつ単発的には許すことはできても、長期的にこれを放置することは根本的な問題を放置することになるのです。