非常時だからメディア・リテラシーが大切という声がうさん臭い理由

答えは『寄生虫』で描かれた「知性」に
水越 伸 プロフィール

メディア・リテラシーの眼目とはなにか。

マスメディアのインパクトを実証的に明らかにしようとしたマスコミュニケーション論も、それを批判的に乗り越えるために90年代に浮上したメディア論も、いずれも人文社会系の学問であり、知識の体系である。

学問は大学に棲息し、図書館やアーカイブに所蔵されている。それらがいかに公共的だとはいえ、現実には誰も彼もがアクセスできるわけではない。

マスコミュニケーション論やメディア論に限らない。学問のほとんどは特権的なものであり、学問のための学問を生み出す学者やその予備軍が形成する1つの社会領域、業界なのである。残念ながらそれが現実だ。

しかしメディアと人間の関わりを探求する営みは本来きわめて日常的な知性であり、一般の人々が日々の暮らしのなかで経験する事柄を批判的にとらえ直す実践とともにあるべきだ。

日常生活で生かすことができるメディアに関する知性は、特権的な学問に回収されはしない。それは、制度的学問としてのメディア論やそれと近接する社会学、文化研究とも違い、さしあたりメディア・リテラシーとしか呼びようがないかたちで、アカデミズムと日常生活の間に横たわっている。

リテラシーはたんなる能力という言葉に還元されない雑味と、ゆるさと、そして日常生活の知性としての創発性を秘めている。

フレイレから中村哲へ

こびりついた保護主義を取り払い、メディア・リテラシーの奥に分け入っていくと、見いだせるのは反知性主義的な知性の流れだ。一般に反知性主義とは知性を否定する態度のことだが、ここでは知性を振りかざすアカデミズムを疑い、反対する知性のことを意味している。

その流れの源流には、教育哲学者で識字教育の実践家だったパウロ・フレイレがいる。フレイレは、ブラジルの貧しい農民たちに文字を教えることを通じて、彼ら、彼女らが自分たちの日常生活や地域をふり返り、読み書きを通じてその問題点に気づくことができる、ユニークな教育プログラムを生み出した。

日本には同じころ、ほぼ同様の意図を持って生活綴方運動を展開した鈴木三重吉や無着成恭がいた。

フレイレも鈴木も無着も、知識は日常生活のなかでこそ意味を持ち、日常生活をより豊かにするための知性がありうると考えていた。日常生活から切り離れた権力的な学問のあり方やそれを支える大学アカデミズムを批判的にとらえ、地域や現場に二本の足ですっくと立つ反知性主義的知性こそが、メディア・リテラシーの地下水脈なのだ。

少しスコープを広げるならば、多様な社会運動と生活協同組合を立ち上げた牧師の賀川豊彦、童話作家、詩人で農民藝術を提唱した宮沢賢治、メディア論的想像力に早くから覚醒し、国立国会図書館副館長も務めた美学者の中井正一などもまた、同じような知的態度を共有していた。2019年暮れにアフガニスタンで亡くなった医師の中村哲もまた、そうした人物ではなかっただろうかと、私は考えている。

この流れの上で、私はデジタル・メディア社会における人間や社会と情報技術、メディアの関わりをとらえ、状況に働きかけていこうと考えている。そのための概念装置としてメディア・リテラシーをリサイクルしてみたいのだ。

ブックスマートではなくストリートスマート

新型コロナウイルスや今後現れうる感染症の世界的拡大のなかで人類が生き残るためには、ネオリベラリズムとマネタリズムによるグローバル資本主義に駆動された人間社会のあり方を根本的に変えていかなければならない。文明史家のユヴァル・ノラ・ハラリや外来昆虫研究者の五箇公一は、そのようにいうが、私もそう考える。

すべての人々が毎日の生活で心がけることが地球社会を支え、世界の人々が健康であることが個人の健康を保証する。新型コロナウイルスを克服するために必要とされる新たな社会像は、個が全体を支え、全体は個のためにあるという、仏教的ともいえる人間観、世界観を背景に成り立ちうるのではないか。

そこで必要なのは、個々人が日常を生きるための知性、すなわち賢さだ。大学アカデミズムの「賢しらさ(さかしらさ)」では役に立たない。

日常を生きるための賢さの典型だと僕が思ったのは、2020年の米国アカデミー賞を総なめにした映画『寄生虫(邦題『パラサイト 半地下の家族』)』に描かれた家族だ。この映画を見ていない人にネタバレしない範囲で少し説明しておこう。

 

この映画には3つの家族が登場する。より「下」のほうにいる2つの家族は低い階層で経済的に苦しいが、生きるための術や素養はしっかり身につけている。スマートフォンを自在に繰ってWi-Fiに無断アクセスし、ネットカフェで精密に卒業証書を偽造し、電気照明の点滅を使ったモールス信号でメッセージを送る。そして状況やタイミングをうまく読んで上流階級の家族をだまし込む。

否応ない格差の中で、取るものも取りあえず身につけたメディア・リテラシーを駆使し、したたかに生きていこうとする。いわゆるブックスマートではなくストリートスマートだ。