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非常時だからメディア・リテラシーが大切という声がうさん臭い理由

答えは『寄生虫』で描かれた「知性」に
“フェイクニュースにだまされないために、メディア・リテラシーを身につけよう!”

――いや、そんな上から目線で言われなくたって、そうそうデマを信じたりしないでしょ! なんでメディアって代物は、人をバカみたいに扱おうとするんだ?

東大教授「お題エッセイ」、本当の本当に最終回。「寄生虫」をテーマに水越伸氏は、メディアをめぐる「うさん臭さ」を突破する対案まで考え抜きました。1万字に到達した大作、ぜひご堪能ください。

「正しく恐れる」の薄気味悪さ

新型コロナウイルスの感染拡大が日本で大きな話題となりはじめた3月前半、マスメディアで「正しく恐れる」という言葉がよく使われていた。

その頃の私たちは、豪華クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス号」で感染者が続出しはじめたのを知り、ようやくこの事態を我が事として感じるようになっていた。横浜港に停泊中の船を映す現場レポートや感染症の専門家からのコメントのあとに、テレビスタジオのアナウンサーが、「みなさん、ネット上の不安を煽るうわさやデマに惑わされず、『正しく恐れる』ようにして下さいね」としめくくる。

はじめて聞いた時はうまいことを言うなと思ったが、何度も耳にしているうちに私はちょっと薄気味悪くなってきた。

「正しく恐れる」のスローガンとしての味噌は、人間という生き物は恐怖を抱くと平常心を失い、ヒステリックになりがちであり、「恐れる」ことで冷静さや正常さをなくすものだという前提を逆手に取るところにある。

一般人は情動的であり、SNS上の噂やデマに騙されて大騒ぎする。マスメディア、官公庁、学校などが正しい知識を注入してやる必要があるというわけだ。

(「東京新聞」Web版より https://www.tokyo-np.co.jp/article/living/life/202003/CK2020030302000180.html)

もっともらしいが、本当にその前提は正しいのか。

3月前半、「正しく恐れる」ようにと一般人を諭していたマスメディアなどは、中国は大変なことになったが日本の検疫体制は万全であり、過去のSARSや新型インフルエンザの事例を参考に考えれば、あまり大騒ぎする必要はないとしていた。だからこそ「正しく恐れる」はよく使われたのだった。

ところが3月下旬に感染が急速に拡大し、東京オリンピック延期、新型インフルエンザ等対策特別措置法の改正、首都圏における外出自粛要請と立て続けに事態が深刻化するにつれ、「正しく恐れる」と諭す根拠がどんどん崩されていき、このスローガンはほとんど聞かれなくなった。

今考えてみれば、未知のウイルスを過去の類推でとらえ、それが正しい知識だとしたマスメディアや官公庁より、情動的でSNS情報をたやすく信じ込むと下にみられてきた一般人の勘のほうが当たっていたわけである。

ちなみにトイレットペーパーがなくなる騒ぎについては、マスメディアはネット上の噂やデマに惑わされた人々が狂乱した結果のように報道したが、災害社会科学の関谷直也はYahoo!ニュースで、人々はおおむね冷静だったのであり、繰り返しトイレットペーパーが空の棚の映像、写真をまき散らした、テレビなどマスメディアの情報発信のやり方こそが問題だと指摘する。

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SNSなどのメディアが人々にどんな影響を与えているかは、一概に言えるものではない。

あえて私自身がつながっているせいぜい数百人程度のネットワークについて言えば、新型コロナウイルス感染をめぐって多くの人々がさまざまな情報をやりとりし、時にはものごとを見誤ったりまちがったりするものの、仲間とやり取りしながら情報を比較検討し、考え方を修正し合い、なんとかうまくやってきたという印象を持っている。

もちろん状況は人によってさまざまで、自分のケースを一般化するつもりはない。しかしメディアの影響研究の知見に従えば、人間は多様なメディアとなんとかうまく付き合って生きていく術や素養をそれなりに備えているもので、災害や戦争の恐怖、コミュニティの崩壊、飢餓などよほどの悪条件が重ならなければ、それほど簡単に噂やデマにだまされるものではない。

ただその程度は、学歴や所得、社会関係などでかなり異なっている。

 

多様なメディアがもたらす混沌とした情報となんとかうまく共生して生きていく術や素養を「メディア・リテラシー」という。2010年代以降、社会的格差や分断が鮮明になるなかでメディア・リテラシーをいかに育むかは、あらためて大きな課題になってきている。

やっかいな言葉、メディア・リテラシー

メディア・リテラシーに取り組みはじめて20年以上が経つ。私はそこから色々なことを学んできたが、同時に、いつまでたっても違和感のなくならない、やっかいな言葉だなとも感じてきた。