2020.04.02
# 日本史

「犯人は誰だ!?」室町時代の裁判記録を東大教授と解読する

<日本史のツボ>のツボ 第5回
本郷 和人 プロフィール

大学院入試問題にチャレンジ!

中味について簡単に説明しよう。原告は相国寺。被告は小笠原持長。相国寺領の寺田庄と小笠原が知行する富野郷が「ここはおれの土地だ、いや我々の土地だ」と境争論をしている。裁判が始まって幕府が両方の言い分を聞こうとしたところ、富野側が実力行使に出て相国寺領の農民を捕らえ、さらには1人を殺害してしまった。中間狼藉でもあり、鹿苑院殿の仏事の最中でもあり、富野側に非があることは言い遁れるすベがない。

さて持長は、私は知りません、と弁解した。となると、持長の代官(僧侶)の所業だろうか。すぐに幕府の法廷に出頭させるよう持長に言い含めた。それで代官は上京し、湯起請という方法で審理をしたところ、彼の虚偽が明らかになった。もともと富野側の非は明らかなので持長の知行を召し上げるべきだが、穏便な処置としてそこまではせずに、三重野の地を相国寺の所有地とするのが妥当だ。すぐにその旨を記載した幕府の御教書を書くべきである。

前出の①史料をしっかりと読むというのは、これらのことを大まかにでも理解する,ということになる。①ができているかどうかを試すことは、大学院の入試レベルの問題となる。たとえば句読点がない(A)の形で史料を挙げ、

 問1、寺田庄と富野郷、訴訟に勝利したのはどちらか。
 問2、その裁定の理由を答えよ。
 問3、争われた境の土地の名は何か。具体的に答えよ。
 問4、領主とは誰のことか。具体的に答えよ。

こんな感じになるだろう。

 

何問できたかな?

答えを書いておこう。問1は簡単。寺田庄である。問2は少し難しい。それは中間狼藉、また鹿苑院殿の仏事という言葉を理解できるかどうか、にかかってくる。

中間狼藉というのは、江戸時代に藩や旗本に期限付きで雇われた「中間」が乱暴を働いた、ということではない。一度法廷に訴が繋属したら、判決が出て白黒がはっきりするまで原告・被告は勝手なことをしてはならない。それを無視して実力行使に出た場合、それを中間の狼藉といい、直ちに敗訴につながる。

これは、中間狼藉の概念を知っていれば、よく勉強しているね、とポイントになるし、知らなかったとしても、文章の前後から類推できなくてはならない。

金閣寺は鹿苑寺金閣ともいう。それくらいは大学院を目ざす人なら、さすがに知っているだろう。とすると、鹿苑院殿が故・足利義満を指すことは当然、見当が付くはずだ。義満の仏事を催している最中だから、ただでさえ行いを慎んでいるべき期間なのに、争いを起こし、さらには人を殺めるとは何ごとであるか。そう幕府は叱責する。中間狼藉、義満の仏事,2つを盛り込んで書ければ満点。

問3はそれこそ、「しっかり」読めているか否か、端的に尋ねる問題。最後の方に三重野の論所の地、という言葉が出てくる。つまり問題になっている寺田庄と富野郷の境の土地は、三重野というところにある。答えは三重野である。

問4はやさしい。領主は小笠原持長を指す。ちなみにこの人は信濃の守護大名であった小笠原家の人ではない。一族ではあるが、在京して幕府に仕える「奉公衆」の一員。足利義昭を擁立した細川藤孝のような立ち位置である。弓の名手で、義教の師範を務めた。江戸時代の礼儀の体系である小笠原礼法というのは、そもそもが弓の引き方から始まっていて、持長を小笠原流の始祖と見なす説もある。

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