苦渋の「和解」…宮城県名取市「閖上津波訴訟」の現場から

ある震災遺族の9年間【第3回】
東日本大震災発生から1ヵ月後の名取市閖上の様子(2011年4月18日、筆者撮影)
東日本大震災の発生から丸9年を迎えた翌日の2020年3月12日、仙台高等裁判所で、「被災地最後の津波訴訟」といわれた「閖上津波訴訟」の和解が成立した。和解金は無く、訴訟費用も双方の負担となった。この「和解」に際し、改めて震災遺族の9年の足跡を振り返ってみたい――。

【第1回】「鳴らなかった防災行政無線」
【第2回】「最低最悪の一審判決」

一審判決を受け入れられなかった理由

東日本大震災による津波で、宮城県名取市閖上の実家に預けていた生後8ヵ月の長男、雅人ちゃんら家族4人を亡くした竹澤さおりさん(44歳)、守雅さん(52歳)夫妻。

竹澤さんら遺族4人は、発災から3年半後の2014年9月、「家族が亡くなったのは、本来、災害時に避難を呼びかけるはずの防災行政無線が鳴らず、地域防災計画で定められた広報車による避難呼びかけもなかったため」として、名取市の「公助責任」を問う訴訟を、仙台地方裁判所に起こした。

しかし、一審の判決は「名取市の災害対応と(雅人ちゃんら家族4人の)死亡との間に因果関係があるとは認められない」として、遺族側の請求をことごとく退けた。

判決は、災害時の、行政の「公助」責任が及ぶ範囲を狭くとらえる一方で、被災者に課せられた「自助」のそれを広く解釈したもので、遺族側からすれば、第三者検証委員会の検証結果より、はるかに後退した内容だった。

この判決によって、名取市という行政だけでなく、仙台地裁という司法にも「絶望」した竹澤さん夫妻だったが、「こんな『教訓』の欠片もない、“浅い”内容の判決を後世に残すわけにはいかない」と、悩んだ末に2018年4月9日、仙台高等裁判所に控訴した。

控訴に際して、遺族側の弁護団も、声明を発表。その中で一審判決の内容をこう批判した。

〈 この判決内容は、第三者検証委員会が最終報告書にまとめた成果・到達点からも後退しており、その結果、同報告書が名取市に示した問題提起や批判も事実上無にするという、重大な問題を有しています。(中略)

そして、この判決は、震災から教訓を得ようという営みを軽視しており、震災の記憶を「風化」させる役割を果たすことになります。

ここに本件判決の本質的問題があり、一審原告がこの判決を認められない最大の理由があります 〉

 

さらに遺族側弁護団は、後日、仙台高裁に提出した控訴理由書の中で、「鳴らなかった防災行政無線」について、〈様々な要因が重なって生じた故障であるといえ、被告(名取市)がこれを予見することは困難だったと言わざるを得ない〉【( )内は筆者補足。以下同】と、「予見可能性」をもとに、名取市に瑕疵は無かったとした一審判決【第2回参照】の問題点を次のように指摘。仙台高裁に対し、一審判決の破棄を求めたのだ。

「原判決(一審判決)は、本件防災無線について、故障原因の『予見可能性』によって、(公の設置物に管理不備があった場合の賠償責任を定めた国家賠償法2条における)『瑕疵』の有無を判断しているが、このように営造物に安全性の欠如が生じた原因について『予見可能性の有無』を問題とした判例はなく、明らかに(過去の)判例に違反している」

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