専門家が大胆予想! NHK朝ドラ「エール」はきっとこう展開する

人物名から見える、NHKの調査の凄さ
辻田 真佐憲 プロフィール

「子供と一緒にヒットもかならず古関は産みます」

東京時代についても見てみよう。

ここは登場人物も多いので、主だったところだけをあげる。作曲家の木枯正男(野田洋次郎)は古賀政男、歌手の藤丸(井上希美)は音丸、山藤太郎(柿澤勇人)は藤山一郎だろう。古賀と藤山は、国民栄誉賞の受賞者だが、モデルを見つけてくれといわんばかりの名前の似せ方である。

古関は1930年10月、東京でコロムビアと専属契約を結ぶ。ところが、クラシック志向の強かった彼は、はじめ流行歌の世界に馴染めず、なかなかヒットを飛ばせなかった。そのため、何度も解約の危機に悩まされた。

1931年には、身重の金子をともなって、古関はコロムビアの幹部の家に契約延長のお願いをしに訪れてもいる。そのときも積極的に発言したのはむしろ豪胆な金子のほうで、「子供と一緒にヒットもかならず古関は産みます」「かならずコロムビアに恩返しします」と切々と訴えたという。

そのいっぽうで、快調に活躍していたのが古賀政男だった。とくに藤山一郎が歌った「酒は涙か溜息か」は、20万枚を超える大ヒットとなった。これは、当時としては驚異的な数字だった。

 

同じ会社の所属だっただけに、古関は肩身が狭かった。

大きな転機となったのは、1935年の「船頭可愛いや」だった。これが初の大ヒットとなり、古関は押しも押されもせぬ流行作曲家の仲間入りを果たした。そして、このときの歌手が音丸だったのである。「レコードは丸くて音が出る」ことから付けられた芸名だった。

人物相関図からして、このあたりのエピソードはほぼ登場するものと考えられる。とくに、身重の金子が口下手な夫に代わって懇願する場面は、使われれば屈指の名シーンになるのではないか。