2年間の不妊治療、3回の流産

松原さんの妊娠は、41歳。その前に2年間に及ぶ不妊治療と3回もの流産があるという大変な妊娠だった。不妊治療の経過で出会った医師が偶然にも初期の胎児超音波検査の国際ライセンス取得者を持つ専門家でもあったことから、松原さんは妊娠13週でその検査を受けた。流産の原因は、大半が胎児の染色体異常だから、見通しが欲しくて受けた検査だった。すると「ダウン症である可能性は2分の1」と判定されるという衝撃的な結果が出た。

ダウン症も染色体異常のひとつなので、染色体が正常な子より今後流産してしまう可能性は高い。しかし、すでに妊娠13週となっているので、出産できる可能性も十分にあった。

「ともかく生きて生まれて欲しい!」というのがその時の気持ちだった、と松原さんは言う。羊水検査に行った大学病院の診察室でも、「私、ダウン症でも別に産みますから」と医師にはっきりと言った。妊娠18週、羊水検査でダウン症が確定し、その3日後、松原さんは本連載3回に登場するクリフム夫律子マタニティクリニックを受診し、幸い合併症はなかった。

「産むという選択については、1ミリもぶれたことがなかったんです」という松原さんは、ただ、胎児の情報がすべて欲しかった。「私はどんな子でも受け容れるので、検査は受けない」という声に、松原さんは賛同できなかった。子どもを、万全の準備を整えて産むためには、情報が基本ではないだろうか?

「『産むことを選ぶなんて、偉いわね』とよく言われましたが、私は選ぶことさえしていなかったような気がします。そういうものだと思っていました」

障害について知っているからこそ

理由は、もちろん自身の職業もそのひとつだった。障害がない人もある人もいるのがこの世界だという信念で頑張ってきたし、現場経験から、松原さんは、日本の障害者福祉は整っているという安心感を持っていた。あまり知られていないが、制度をちゃんと使えば、子どもにダウン症があるために生活が困窮するようなことはなく、子どもを保育園に入れて親が働き続けることもできる、と。

そして、もうひとつ深いところにも、松原さんの理由はあった。
「私には、宗教的背景があると思います。プロテスタントの学校に通っていた家族が多く、私自身もそういう学校で学んでいて聖書の授業もありました。『人はみんな神様の子どもであり、誰もが平等な存在』と小さいころから教えられてきたので、障害者を排除しようという考え方は生まれようがない。自分の基本的な価値観と人生観が、そうなっているんですね」

松原さんは、仕事でもこの考え方に励まされてきたという。
「日本は宗教を語りたがらない傾向がありますが、私はこの考えから『生きやすさ』をもらってきたと思います。なにしろ40年も生きてきたあとでの高齢妊娠ですから、人生観も固まってきていたのでしょうね」

出産前日の松原さん夫婦 写真提供/松原未知