〔PHOTO〕iStock

「定型文と美辞麗句は完全な思考停止」話題の謝辞に対する賛辞と批判

定形外なのか、無防備すぎるのか…

大きな話題になった謝辞

「定型文と美辞麗句の裏側にあるのは完全な思考停止」「卒業生が謝辞を述べるべきは自分自身」――。

学習院大学が3月20日に予定されていた卒業式・学位記授与式が中止となったことを受け、公式サイトに掲載した国際社会科学部卒業生代表による謝辞が話題となっている。

ほんの700文字程度の文章に対して、「よく言った」「遅れてきた中2病」など賛辞と批判が入り混じる。この謝辞は読む人の何を刺激し、何を喚起したのだろうか。

〔PHOTO〕Wikimedia Commons

まずはその全文を見てみよう。

【謝辞①】

卒業生代表・小堀奈穂子

 卒業生総代答辞の多くが、ありきたりな言葉の羅列に過ぎない。大きな期待と少しの不安で入学し、4年間の勉強、大学への感謝、そして支えてきてくれた皆さまへの感謝が述べられている定型文。しかし、それは本当にその人の言葉なのか。皆が皆、同じ経験をして、同じように感じるならば、わざわざ言葉で表現する必要はない。見事な定型文と美辞麗句の裏側にあるのは完全な思考停止だ。
 私は自分のために大学で勉強した。経済的に自立できない女性は、精神的にも自立できない。そんな人生を私は心底嫌い、金と自由を得るために勉強してきた。そう考えると大学生活で最も感謝するべきは自分である。
 すべての年度での成績優秀者、学習院でもっとも名誉である賞の安倍能成記念基金奨学金、学生の提言の優秀賞、卒業論文の最優秀賞などの素晴らしい学績を獲得した自分に最も感謝している。支えてくれた人もいるが、残念ながら私のことを大学に対して批判的な態度であると揶揄する人もいた。しかし、私は素晴らしい学績を納めたので「おかしい」ことを口にする権利があった。大した仕事もせずに、自分の権利ばかり主張する人間とは違う。
 もし、ありきたりな「皆さまへの感謝」が述べられて喜ぶような組織であれば、そこには進化や発展はない。それは眠った世界だ。新しいことをしようとすれば無能な人ほど反対する。なぜなら、新しいことは自分の無能さを露呈するからである。そのような人たちの自主規制は今にはじまったことではない。永遠にやっていればいい。
 私たちには言論の自由がある。民主主義のもとで言論抑制は行われてはならない。大学で自分が努力してきたと言えるならば、卒業生が謝辞を述べるべきは自分自身である。感謝を述べるべき皆さまなんてどこにもいない。

学習院大学国際社会科学部 - 学部長祝辞・卒業生代表による謝辞
 

卒業生代表としての「謝辞」の結びが「感謝を述べるべき皆さまなんてどこにもいない」とは、確かに「定形外」、少なくとも学習院大学では前代未聞のことだろう。

ちなみに【謝辞①】のあとには【謝辞②】が続くが、そちらはまさに定型文で、バランスをとった形になっている。