コロナ休校でわかった「2020年以降の教育に絶対必要なこと」

「ITは苦手」と発言する校長は罪深い
岡嶋 裕史, 山脇 智志 プロフィール

教育にスマホありき、の時代が来た

岡嶋 幸せな生活が送れていると、非日常を考えるのは負荷が高くなるからいやだ、そう考える人がほとんどだと思うんです。私もそうです。

でも実際に非日常に遭遇すると、みんなけっこう馴染んで生活を回しているようにも感じています。人って強いですよね。自分の生き方や生活の仕方を変えていくことで適応する。

でも、それはいろいろなことを諦めた結果です。

いまはこれだけ情報技術が発達しているのですから、いろいろ考えて対策しておけば、そんなに諦めなくてもよかったはずなのです。情報技術の力で、以前の生活がひょっとしたら取り戻せるかもしれないよ、とそういうメッセージは発信しておきたいと思います。

もちろん、デジタル化された教育には効果がないとか、つまらないとか、そういった固定観念がまだまだ強いこともわかっています。けれども、覚悟を決めればいいものは作れる。そう私は確信しています。

少なくとも、従来型の教育のバックアップとして機能させ、教育を続けることはできます。

山脇 キャスタリアという会社はずっとそういったことを考えてきました。全人類がスマートフォンを持つ時代が来たら、みんながそれを使って勉強するようになる、と。未来を予想というか「予言」したわけです。

eラーニングではなくてモバイルラーニング。でも、みんながみんなアプリとかを作れるわけじゃないから、私たちで誰でも簡単にスマホで学べるようなプラットフォームを作ろう、と思いついたのです。

やっぱりスマホっていうものは、もはや脳の外部記憶装置であったり、身体の拡張された外部器官であったりするじゃないですか。 日常において接着している電子端末なんて、間違いなくスマホしかないんですよ。もはや人間の体の一部です。

そうなると、スマホありきで教育を考える時代に来ているのかなと思います。ですが既存の教育はそうなっていないから、なかなか難しかった。

今回のコロナ騒動のような感染症の発生を肯定するわけではないのだけど、ビル・ゲイツのような人たちが「デジタルで教育を何とかしよう」って言ってきてもあまり変わらなかったのが、いま本当にガラガラポンで変わらざるを得ない状況になっている。

この機会に教育をリフォームする、つまり現代に合ったものにしていく必要があるのです。

決して学校の「集合する」型を全否定するのではありません。それがすべてである必要はない、ということですね。

集合することのいい点はちゃんと維持する。でも、離れててもちゃんとできることもある。何の疑念も抱かずに集合型がいい、と考えるのはもはや時代に合致していないよな、といつも思います。

edtech「集合すること」と「デジタル」は両立できる Photo by Getty Images

たとえば、岡嶋さんが提案されているように、ゲームの素材を使って教材を作るのも全然OKだと思います。

卒業後にやりたいことや仕事に関係することに直結してたり、興味のあることに関するスキルや知識を得られたりするのなら、みんな学ぶことに前向きになれるはずです。

「インフラ」か「ライフライン」か

岡嶋 人類を支えてきたのは間違いなくテクノロジーとその進化だと思います。人類が発展するといったって、身体的な進化とかが起こるわけじゃないですよね。

ただ、新しい技術は怖いし面倒だ、と感じるのもまた自然なことです。電気だってガスだって、最初はきっとおそるおそる生活に取り入れましたよね。情報技術も同じ道をたどり、社会に根付くインフラになります。というか、もうなっています。

なのに、教育がそれに適応できていません。当たり前にインフラになったのに、それをちゃんと使いこなせなければ、世界からどんどん置いていかれます。何より、楽しくありません。

私たちは今回のウイルスの大流行でいろいろなものを失ったけれども、マイナスだけで終わらせてはよくない。もったいない。

「けっこう使えるじゃん!」「来年もこれでやってみようか」「これがあるから安心だね」ってみんなに思ってもらえるしくみが構築できれば、プラスを生み出せるのではないでしょうか。

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