朝日新聞「最後の社主」の死…知られざる生涯と「遺言書」の謎

大メディアが「秘封」したもの
伊藤 博敏 プロフィール

象徴天皇のような社主

前半部で語られるのは、「爺や」や「書生」がいる戦前の超富裕層の日常であり、そこから短い結婚生活を経て、類い稀な「観賞の耳」を持つ女性が、日本に音楽フェスティバルを根付かせるまでの半生記である。

樋田氏は、それを本人の回想を交え、丁寧に綴って行くが、朝日としては、そうした芸術活動に社主がいそしみ、その支援を通じて“お世話”をし、社主が満足、株主権の行使などに走らない状況が望ましかった。

樋田氏はそれを「象徴天皇」になぞらえる。創刊記念日、新年祝賀会といった式典、株主総会などに毎年、出席するのはもちろん、朝日新聞大阪本社、フェスティバルホールの起工式などの神事には必ず参加。朝夕刊が届けられると、「祭壇」に1時間ほどお供えをして、それからおもむろに目を通す。

 

樋田氏は、美知子社主が、<すべてを分った上で、あらゆる思いを飲み込み、会社との最終和解の道を選びました>と書く。

そこには、08年6月、90歳を目前にした社主が、36%の持ち株のうち12%をテレビ朝日に売却、10%を香雪美術館に寄付したことが含まれる。朝日経営陣は、支配株主がいなくなり、社主問題にメドがついたと、胸をなで下ろした。