実行犯が語る「よど号ハイジャック事件」50年目の新事実【上】

彼らは今、北朝鮮で何を思うのか
伊藤 孝司 プロフィール

 “未知の国・北朝鮮”行きを決めた経緯

1968年1月23日、米国海軍の武装情報収集艦「プエブロ号」が朝鮮人民軍に拿捕された。米国は北朝鮮への原爆投下を検討したものの断念し、捕虜となった82人を救うため12月23日に全面謝罪をした。

平壌市内で展示されている現在の「プエブロ号」(2014年4月30日撮影)

翌年4月15日には、厚木基地所属の米海軍「EC121偵察機」が朝鮮人民軍によって撃墜される。ベトナム戦争が泥沼状態になっていたため、米国はまたしても報復を見送る。このように北朝鮮は、米国と激しい軍事的攻防を繰り広げていた。

「朝鮮が米国と対決する反米意識の強い国というのはありましたが、外から伺い知ることのできない得体の知れない国というのが一般的で、私もそうでした」(魚本)

「(朝鮮は)反帝の国、人民大衆が主人となった国として見ていました。だから、私は国際根拠地をつくるために朝鮮へ渡るとともに、日本の学生が日本政府の封鎖を破って朝鮮に行くこと自体が大きな意義を持っている、命をかけても良いほどのことだと思いました」(赤木)

一方、小西の答えは明快だった。

「私としては、日本で一番悪く言われている国・朝鮮は、我々にとっては一番良い国であるはずだ、というのが強くありました」

米兵の人形を叩く競技をする女性(2004年5月1日撮影)
 

こうして「赤軍派」の9人は、「金日成(キム・イルソン)首相が首班の社会主義国、日本との関係が最悪の国、貧しい国」(小西)といった程度の知識しかないまま、未知の国・北朝鮮へ行くことを決めたのだった。

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