実行犯が語る「よど号ハイジャック事件」50年目の新事実【上】

彼らは今、北朝鮮で何を思うのか
伊藤 孝司 プロフィール

当初の目的地はキューバだった

私は以前から、「赤軍派」が合法的に出国するのではなく、なぜ“ハイジャック”という手段を取ったのか疑問に思っていた。日本から外国への渡航は1964年には自由化されていたからだ。1995年に死亡した田宮の後に「グループ」を率いてきた小西が答えた。

「全員、逮捕状が出ていたり、裁判中だったりしていたという事情から」という拍子抜けする話だった。彼らには、外国へ出るのに、非合法の手段しか選択肢がなかったのだ。

「赤軍派」を含めた新左翼運動は、警察から徹底的な弾圧を受け、過激な運動形態によって民心が次第に離れていった。追い詰められた「赤軍派」は起死回生の方策として、とんでもない計画を立てた。それは、社会主義国で軍事訓練を受けてから日本へ密入国で戻り、銃と爆弾で武装蜂起して首相官邸を占拠する、というものだった。

そのために、彼らが向かおうとしたのは実は“キューバ”だった。その理由とキューバとの交渉経緯を小西が説明した。「キューバと新左翼との交流があって親近感が強かった上に、私たち自身、具体的な連係の線があったから」とし、「当時の駐日キューバ大使と、私たちの知人を介し直接会って交渉しました」と具体的だ。

「主体(チュチェ)思想塔」前の4人(2014年9月24日撮影)

キューバへ渡るために「強奪した船で米軍と銃撃戦をしながら行く」という荒唐無稽な方法が検討された。ところが、この計画はあっけなく挫折。「駐日キューバ大使がキューバ行きを断りながら、『近くにもっとよい国があるではないか』と勧めてきた」という。社会主義国へ行きたいのなら他へ行け、と厄介な話を断ったのだ。

 

当時のベトナムでは、北ベトナムの支援を受けた「南ベトナム解放民族戦線」が、南ベトナム政府軍とそれを支援する米軍と激しく戦っていた。日本では、米国の軍事介入に反対するベトナム反戦運動が大きく盛り上がっていた。であれば、「赤軍派」は北ベトナムを目指しても不思議ではない。そのことを小西に聞くと、こう答えた。

「ベトナムはキューバと比べ親近感がなかったということです。同じ戦う国、革命する国でありながら、より身近なアジアの国々の方がむしろ疎遠だったというのは、今から考えればおかしなことだと思います」

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