実行犯が語る「よど号ハイジャック事件」50年目の新事実【上】

彼らは今、北朝鮮で何を思うのか

日本の現代史に残る大事件「よど号ハイジャック事件」から、今年で50年が経つ。北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)へ渡った犯行メンバーたちはその後どうなったのか。今、何をしようとしているのか――。

平壌で暮らす6人

1970年3月31日、羽田空港から福岡・板付空港へ向かった日本航空351便(愛称「よど号」)がハイジャックされた。日本で最初のハイジャック事件である。犯行メンバーは、新左翼の一党派である「共産主義者同盟赤軍派」の9人で、リーダーはその軍事委員長の田宮高麿。

ハイジャックは当初、3月27日に決行されることになっていた。ところがメンバーの中で4人もが、飛行機へ乗ることに不慣れだったために乗り遅れたのである。改めて決行することになったのは31日。午前7時20分、乗客131人を乗せた「よど号」は、福岡へ向けて羽田空港を離陸した。

それから20分ほどした時、田宮が立ち上がったのを合図に他のメンバーは“拳銃”や“日本刀”などを取り出した。当時はまだ、搭乗時の荷物検査がなかったのである。ただ、これらの“武器”は、すべて模造品だった。

メンバーたちは鍵の掛かっていない操縦室へ駆け込み、機長に北朝鮮の首都・平壌(ピョンヤン)へ行くよう迫る。そして、乗客全員の手首をビニール紐で縛り上げた。ここから、「よど号ハイジャック事件」が始まったのである。

「新左翼」運動が追い込まれていく中で「国際根拠地」を求め、「よど号」をハイジャックして北朝鮮へ渡った「赤軍派」の9人。現在は、そのうちの生存する実行犯とその妻が平壌で暮らしている。

この記事のために撮影された全員の近影(2020年2月16日撮影、「よど号グループ」提供)

この「よど号グループ(以下「グループ」)」は、小西隆裕(1944年7月生まれ)、若林盛亮(1947年2月生まれ)、赤木志郎(1947年11月生まれ)、魚本(旧姓・安部)公博(1948年3月生まれ)。そして田宮高麿(1943年1月- 1995年11月)と結婚した森順子(1953年5月生まれ)と、若林盛亮の妻・若林(旧姓・黒田)佐喜子(1954年12月生まれ)の6人。

 

私が「グループ」と最初に出会ったのは1992年8月。当時の彼らは、訪朝した日本人に会おうとしてホテルへ訪ねて来た。そうして何度か会って雑談を交わしてきたものの、取材は受け入れられなかった。