野田市小4虐待死事件の「全容」〜全公判を傍聴してわかったこと

家族の限界、残り続ける「謎」
阿部 恭子 プロフィール

勇一郎氏自らが撮影していた心愛さんが泣き叫ぶ動画が流れ、女性裁判員が泣き出し休廷となる一幕もあった。

傍聴席に伝わるのは音声だけであるが、苦しさから息も絶え絶えに助けを求める心愛さんの声や、飛び交う暴言の数々に、傍聴席では涙を流す人や怒りを露わにする人が絶えなかった。

怒りと悲しみが渦巻く傍聴席の雰囲気は被告人席には全く伝わっている様子はなく、勇一郎氏は表情一つ変えずに真っすぐ前を見つめていた。

勇一郎氏は入廷出廷の際、必ず、傍聴席、検察側、裁判官・裁判員、弁護側とそれぞれの方向に向かって頭を下げ、初公判では裁判官に深く一礼すると、「私の気持ちを聞いてほしい」と手元のメモを広げ、「娘にしてきたことは躾の範囲を超え、深く後悔している」「みーちゃん、ごめんなさい」と涙ながらに謝罪した。

パフォーマンスともとれる矛盾した言動は、検察側や裁判官・裁判員だけではなく、多くの傍聴人を苛立たせ、「外面は良いが残忍」という印象を裏付けた。

修正されなかった「虐待」認識のズレ

勇一郎氏は、なぜ虐待を否定し続けるのか。

本件では、動画や録音、LINEでのやり取りなど虐待の一部始終が記録されており、動かしがたい証拠を自ら作っているのである。

それにもかかわらず、自らの行為を否定するのみならず、娘が誘発したかのように主張することは、「無駄な抵抗」としか言いようがない。

被害者は貶められ、家族は恥をかき、当然、刑は重くなる。なぜ、自ら厳罰を招くような無駄な主張が繰り返されたのか。

それは、勇一郎氏が社会的な「虐待」の意味を理解していないからである。虐待や性暴力の加害者には少なからず「認知の歪み」が存在し、自己の価値観において、加害行為を正当化している。加害者に罪を認識させるためにはまず、「虐待とは何か」を理解させなくてはならない。

 

勇一郎氏の発言からは、どういう行為が虐待か、誰も説明していないと感じた。犯行当時から少しも変化しておらず、それどころか、接見禁止によって弁護人以外との交流が遮断されたことによって自分の世界観を強固にし、加害性が増したとさえ感じた。

弁護側は、虐待を認め、公判までの間に認識のズレを埋めていく教育を行って欲しかった。せめて被害者の尊厳を貶める発言は控えるようコントロールすべきではなかっただろうか。

無駄な否認を続けることによって親族や適切な支援者との交流が遮断され、自らの価値観を相対化する機会がないまま、認知の偏りがさらに増した状態で裁判に臨むことになったのである。