愛情が深すぎる  

私はときどきラジオ番組に出演させていただくことがあります。そのときに『脳科学で答える人生相談』というコーナーがあって、リスナーの方が送ってくださったメールの相談に答えます。ここに一つ、印象に残っている質問があります。

相談者は子育て中のお母さん。子どもが何人かいて、その中で一人の男の子だけ、かわいがれないというのです。かわいがりたい気持ちはすごくあるのだけど、どうしてもつらく当たってしまう。これは虐待なのでしょうか。どうすればいいのでしょうか、という質問でした。

私は「人間には、近すぎるあまりに思いどおりにならないと、つい攻撃をしたくなるというしくみがあります」という話を、ラジオのコーナーの短い時間でどうにかこうにか説明をしました。ある時その番組中に「なるほど、そういうことだったのですね」と、その相談者の方からお返事のメールを頂くことができました。
 
愛情が深すぎてそうなったのですね、という趣旨の解説になったのですが、すごく腑に落ちたようでした。お便りを下さった方はその男の子に対して愛情が足りないのではなく、愛情が深すぎるということではないか、と分析をしました。なので、一つの解決法として、祖父母なり夫なり、いろいろな人を入れて薄めてあげるとちょうどいい。すこし遠くから、他人様の子だと思って接するとラクになるかもしれません、と。

子育て中の母親の中には、子どもの中に自分と似た面が認識されると嫌悪感が湧くと言う方もいます。自分と似た人と、ある一定の距離があれば、逆に親近感が湧くのに、距離の近い人だと苛ついたり、腹が立ったり、ネガティブな感情が湧いてくる。
Familiarity (よく知っていること、類似性)という用語 がありますが、この尺度が高いときに、却って非常にネガティブな感情が生まれることがあるのです。類似性が高いのが娘の場合だと「自分と似ているくせに、一人だけ幸せになるなんて許せない」という憎悪の感情が湧いてくることもあります。

 
類似性と、もう一つの重要なファクターがあります。その要素は、獲得可能性です。「私だってあれぐらいの男と結婚できたわ」「私だって時代が違えばあの学校に行けたのに」「あんたは今の時代に生まれてよかったわね」と、娘に対しての感情が生まれます。性別が違うとこの感情は少し薄れるので、母ならば息子よりも娘に、父ならば娘よりも息子に対して抱きがちな感情です。

両親が精一杯、全身全霊で愛情を注いでいるつもりでも、子どもの「安心し ていたい」という心を無視してしまうことがあります。わかりやすく手をあげたりするのでなくても、子どもが親に受け入れてもらえない悲しみに打ちひしがれてしまうこともあります。子どもの心と自分の心の両者に、親である人はゆっくり、ちゃんと向き合って、接していけるだけの余裕が本当は必要です。