【戦争秘話】沖縄上空で米軍を迎え撃った男たちの「過酷すぎる戦い」

搭乗員たちが見た「空の沖縄戦」第1回
神立 尚紀 プロフィール

特攻出撃する「大和」の護衛に

同じ日、戦艦「大和」、軽巡洋艦「矢矧」、駆逐艦8隻からなる艦隊が、「海上特攻隊」として、沖縄に向かうべく徳山沖を出撃している。植松大尉は4月7日、第五航空艦隊司令長官・宇垣纒中将の命を受け、零戦12機を率い、今度は鹿児島県西南方を航行中の「大和」の上空哨戒にあたった。植松の回想――。

 

「『主トシテ敵哨戒機ヲ撃攘スベシ』との命令でした。この日も雲が低く垂れこめていて、『大和』の発見には苦労しました。艦隊の位置は佐多岬の270度(西)、距離70浬(約130キロ)との情報を得ていたので、硫黄島、黒島を経て、目標となる草垣諸島を探したんですが視界不良で見当たらず、ようやく雲の合間に艦隊を見つけたのが午前9時。

そこで、先に哨戒にあたっていた二〇三空の零戦と交代し、雲の下、高度300メートル以下の低空を旋回しながら護衛しました。『大和』の甲板から手を振る乗組員の姿が見えましたよ。私の隊が飛んでいる間には、敵機は姿を見せませんでしたが……。

笠之原基地に還ってしばらくしたところで、『大和』が敵機の襲撃を受けていることを知りました。燃料の都合もありますし、圧倒的多数の敵機の前には、上空にいても結果は変わらなかったと思いますが、暗澹たる気持ちになりましたね」

植松大尉の零戦隊が引き揚げたあと、敵艦上機の波状攻撃を受けた「大和」は、4月7日午後2時23分、大爆発を起こし沈没。「海上特攻隊」は、「大和」「矢矧」と駆逐艦4隻を失い、3700名を超える戦死者を出して、沖縄突入を果たせず壊滅した。

戦艦「大和」は、昭和20年4月7日、米艦上機の攻撃を受け、大爆発を起こして沈没した