新型コロナ「興行大打撃」は、コレラ流行の時代と驚くほど似ていた

100年以上前にもあった「自粛要請」
笹山 敬輔 プロフィール

劇場の感染症対策いまむかし

明治10年のコレラ流行の翌年、12代目守田勘弥が、最新の大劇場として新富座を再開場した(勘弥についての詳細は、拙著『興行師列伝』[新潮新書]を参照)。

勘弥は、劇場を取り巻く環境の変化をいち早く捉え、「近代化」をおしすすめた興行師だ。彼は、伊藤博文をはじめとした政府高官とも結びつき、新富座を世界に日本をアピールする「おもてなし」の劇場としてオープンさせた。

劇場設備にも最新のテクノロジーを導入し、衛生関連で言えば、観客の健康のために、空気の流れを良くするための風窓や、劇場に隣接して植え込みを設置している。どれだけの実効性があったかは疑わしいが、劇場に健康的なイメージを与えようとの意図もあったはずだ。興行師として常に時代を読んでいた勘弥は、「衛生」という新しい概念の重要性も察知していたのだろう。

歌川広重(三代目)『東京第一之劇場 新富座大當ノ図』

以後、他の劇場においても、衛生対策に取り組むことになる。とはいえ、できることは意外に少なかった。

明治12年に大阪で興行が差し止めになった際、再開の条件となった「予防法」の中身は、「場内の換気」「清掃」「場内の飲食を控えること」「便所の清掃と防臭」「飲料水の検査」の五条である(徳永高志『芝居小屋の二十世紀』)。

 

また、明治44年に開場した日本初の西洋式大劇場である帝国劇場においても、衛生対策の目玉は「大旋風機」を設置して換気を良くすることであった。

宝塚歌劇は、コロナ対策に取り組んだ上で、3月22日から公演を再開したが、その中身は、換気の強化や、こまめな清掃、劇場内での飲食販売の制限などである。こうしてみると、昔も今もやってることに大差はない。これは劇場が進歩していないというよりも、人類ができる感染症対策には限りがあるということだろう。