新型コロナ「興行大打撃」は、コレラ流行の時代と驚くほど似ていた

100年以上前にもあった「自粛要請」
笹山 敬輔 プロフィール

コレラ流行、江戸と明治の違い

コレラは、もともとインドの風土病である。それが19世紀にパンデミックへと発展したのは、西洋列強によるアジア進出という時代背景がある。その影響は、鎖国下の日本においても無関係ではいられなかった。

文政5(1822)年に下関に初上陸し、安政5(1858)年には江戸でも大流行している。その惨状は、火葬場が棺桶であふれたと伝えられるほどだ。

だが、歌舞伎研究者の日置貴之によれば、感染症の流行を理由に興行が禁止されることはなかったという。江戸時代の劇場にとっては、感染症よりも火事の方が恐ろしいという感覚だったようだ(「安政5年(1858)コレラ流行下の中村座」)。

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明治維新がなってからは、明治10年に再びコレラが流行し、以後も繰り返し発生した。このときには、行政による興行中止命令が出されている。江戸から明治への変化は、「公衆衛生」の発見が背景にあるだろう。

日本の衛生行政は、岩倉使節団に随行した官僚の長与専斎を中心に確立されていった。長与は、中国古典の『荘子』に出てくる「衛生」という語を今日的意味ではじめて採用し、明治8年には内務省衛生局の初代局長に就任している。

 

感染症は、個人による養生ではなく、国家による衛生システムによって対処すべき時代となった。この衛生対策の推進は、当然のごとく劇場にも求められることになる。